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連載 被爆70年

[ヒロシマは問う 被爆70年へ] 核廃絶なぜできぬ 変わりゆく核実験 

爆発なし 「科学にも貢献」

 米国が広島と長崎に原爆を投下し、2015年で70年となる。非人道的な被害を二度と起こさないためには、核兵器廃絶しかない―。こうした被爆地の叫びを無視するかのように、戦後2050回以上の核爆発が繰り返された。核実験場の周辺で新たなヒバクシャを生んだ。地球規模の環境破壊を引き起こした。

 ここ10年ほどの間にも、北朝鮮が地下核実験を強行した。一方で、他の核兵器保有国の間では、小規模化、高性能化が進む。核爆発を伴う実験は今や一昔前の手法だ。

 巨大なきのこ雲が立ち上るような実験がなくなっても、核軍拡は終わっていない。各国は核弾頭やミサイルなどの「近代化」に巨費を投じている。核拡散防止条約(NPT)が定める核軍縮義務は、空文化の危機にある。

 米国は今、冷戦期に抱え込んだ大量の核兵器を一定程度は減らしている。しかし同時に、手元に残す核兵器の性能維持に万全を期している。ニューメキシコ州にあるサンディア国立研究所の「Zマシン」は、そのための最新鋭性能実験装置である。

 核兵器が存在する限り、使用の可能性は拭い切れない。核兵器廃絶へなぜ歩み出さないのか。各国の為政者と、被爆国日本の政府に、ヒロシマは問う。核実験のありようが変化し、保有核の「量より質」への転換が進む今こそ、その時だ。(金崎由美、岡田浩平、山本慶一朗)

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米の性能確認装置 Zマシンを訪ねて

 その瞬間は、建物中に衝撃が走るという。サンディア国立研究所にあるZパルス・パワー施設。ここに核爆発を伴わずに核兵器の性能を確認する、世界最先端の実験装置「Zマシン」がある。質的な変化を見せる核実験の現状を知るため今月、現地を訪れた。

まるで工場

 案内された建物に入ると、円筒形の大きなタンクのような装置が現れた。Zマシンだ。直径約33メートル。強烈な油の臭いが鼻をつく。サイレンとともにクレーンでつり上げられる大型部品。発電機のような騒音もけたたましい。工場を見学しているような気分だ。

 「この臭いは絶縁体として変圧器油を大量に注入しているため」と施設担当のジョエル・ラッシュ上級部長(45)が説明した。やはり絶縁体として大量の超純水を張っている部分もあり、潜水士が泳いで設備の点検をしていた。

 中心部で強力なエックス線を発生させるなどして超高温、超高圧の核爆発時と同様の環境を再現。プルトニウムが想定通りの性質を維持しているかを確かめたり、過酷な環境でどんな動作をするかについてデータを取ったりする。施設名の「Z(ズィー)」は、中心部で発生したプラズマの粒子が奥行きを示すZ軸に沿って集まる現象が由来という。

 実験は年に150~200回。鉄などの核弾頭に使ういろんな物質が対象だ。このうち年に数回、プルトニウムを使うのが本格的な核性能実験である。

認識のずれ

 「科学技術の発展にも多様な貢献をしている。国内外から研究者や政府関係者の見学が絶えない」。星の内部の状態に近い環境ができるため、太陽や地球の中、恒星の終末期の様子「白色矮星(わいせい)」などの研究にも役立っているとラッシュさんは胸を張る。核融合の基礎的な研究でも注目の的だという。

 しかし、施設の建設や実験の費用はエネルギー省傘下の国家核安全保障局により核兵器予算として捻出されている。そして実験のほとんどは、核兵器の性能維持が目的というのが現実でもある。

 日本では考えられないほど、軍事と科学が密接に関係し最新鋭の核兵器研究が行われている米国。規模や形態に関係なく、核兵器を持ち続けるための実験にはあくまで反対する被爆地。両者の認識のずれを痛感した取材となった。

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抑止力「日本に保証する責任」 研究所幹部

 Zマシンによる核兵器の性能実験を担うサンディア国立研究所のキース・マッツェン核兵器科学技術局長(67)と、パルス・パワー科学センターのドゥエイン・ディモス局長(56)に実験について聞いた。

 ―どんな目的で行っているのですか。
 核弾頭が製造から年数がたつごとにプルトニウムなどの性質がどう変わるのかを見るためだ。違う年代、違う弾頭から取り出した試料で実験し、強力なエックス線が発生する過酷な環境でも想定通りに反応するかを確かめる。それらのプルトニウムは(研究所の北約160キロにある)ロスアラモス研究所のプルトニウム施設「TA―55」から持ち込む。米国家核安全保障局の保有核の維持管理計画(SSP)に基づいている。

 ―Zマシンでの実験が行われるたび、被爆地から抗議の声が上がっていることを知っていますか。
 毎回情報を得ているわけではないが、実験に対する懸念が表されていることは認識している。広島の人たちには、ここで何が行われているかについて理解を深めてもらいたい。

 プルトニウムの試料は(直径約1・8センチの)10セント硬貨をさらに薄くした大きさだ。最大8・4グラムまで。細心の注意を払っており漏出は一度もない。核実験というと大規模な核爆発を思い起こすかもしれないが、まったく別物だ。

 ―爆発を伴わずに核兵器の信頼性を維持することに貢献していると強調していますね。
 核爆発実験をしなくても、核抑止力を将来にわたって確実なものにする必要がある。「Z」はこの目的のために稼働している多様な施設の一つだ。データを集めてスーパーコンピューターのシミュレーションに役立てている。

 ―Zマシンでの実験データが蓄積すれば、臨界前核実験は不要になりますか。
 臨界前核実験が核兵器の信頼性に関する総合的な実験であるのに対し、「Z」の実験目的は物理学上の特定のデータを得るためだ。両方が合わさって核兵器の信頼性がより担保される。

 ―米国は核弾頭の耐用年数を延ばす「寿命延長計画(LEP)」をSSPの一部と位置づけていますが、単なるメンテナンスではなく能力の増強だと批判されています。Zマシンも核兵器の近代化に貢献していませんか。
 われわれは「近代化」ではなく「改修」と言っている。例えば核爆弾B61は製造から50年がたっている。次の50年間も核兵器の信頼性を保つには、それだけの作業が必要だ。核兵器のアップグレードとは違う。

 ―核兵器廃絶を訴える被爆地では、核兵器を維持することに反対しています。
 オバマ大統領はプラハ演説で、「核兵器なき世界」を実現するまでは同盟国のために核抑止力の信頼性を保持すると宣言した。ゼロに達するまで、日本や北大西洋条約機構(NATO)加盟国などの同盟国に対し、信頼ある核抑止力を保証する責任がある。

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広島市立大広島平和研究所の水本副所長に聞く

放射線被害者と連携し、ノーを言い続けなければ

 米国がZマシンを使った核性能実験を繰り返す狙いや、被爆地からの抗議を続ける意味について広島市立大広島平和研究所(安佐南区)の水本和実副所長に聞いた。

 ―米国が核実験を続ける理由をどうみますか。
 核兵器の性能維持を目的に掲げ、Zマシン以外にも実験が多項目に細分化されている。一つ一つの実験は、軍事だけでなく民生用技術もあるだろうが、研究機関、研究者、予算を確保し、いざというときに兵器に使える技術を維持しようとしている。

 米国は2012年の臨界前核実験の様子を収めた動画をインターネットで公開した。エネルギー省のホームページには関連技術が科学技術雑誌で表彰されたことも誇らしげに書いてある。科学者は罪悪感を感じていないはずだ。

 ―原爆開発から冷戦を経て現在に至るまで、核実験の問題はどこにあると思いますか。
 大気や水の中での爆発を伴う実験は、環境に著しい影響を与えるというのでモラトリアム(一時停止)してはいる。ただ爆発は最終段階であり、実験がないからといって、そこに至るまでの技術の開発や維持をしていないわけではない。米国はZマシンをはじめ手の内をある程度明かしているが、ほかの国は弾頭数は分かっても、実質的にどのレベルの核戦力を維持しているのかは依然分からない。

 ―米国は核性能実験は包括的核実験禁止条約(CTBT)に違反していないと毎回主張しますね。
 爆発実験を禁じた条約だから形式的にはそういう理屈にはなる。しかし、CTBTの目標は核兵器開発そのものを止めることだ。核兵器の維持を狙う米国の姿勢はその流れに明らかに反している。今のままではCTBTが発効しても臨界前核実験やZマシンの実験は止められないわけだから、核兵器禁止条約などで包括的に網をかけるしかないのではないか。

 ―日本政府も米国の実験に抗議しません。なぜですか。
 米国の「核の傘」の下にある以上、一定に核兵器の性能を維持してもらわないと、傘の性能も保てないと思っているのだろう。

 ―被爆地広島が抗議し続ける意味は。
 オバマ大統領は核を持つ国がある限り、米国も手放さないと言っている。結局、米国は世界で最後まで安全保障を核に頼るというメッセージだ。本当に「核兵器なき世界」を目指すなら、核に頼らない安全保障を米国が率先して探るべきだ。被爆地は、核実験や原発事故などによる放射線被害者と連携し、核の維持にノーを言い続けなければならない。

みずもと・かずみ
 1957年、広島市中区生まれ。東京大法学部卒。米タフツ大フレッチャー法律外交大学院修士課程修了。朝日新聞ロサンゼルス支局長などを経て98年4月に広島市立大広島平和研究所助教授。2010年4月に教授。同年10月に副所長に就いた。

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そのたび 怒りの座り込み 慰霊碑前

 日本で核実験反対の機運が盛り上がるきっかけになったのは、1954年3月1日に太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米国が行った水爆実験だった。

 静岡のマグロ漁船、第五福竜丸が被災し、乗組員23人が大量被曝(ひばく)。ほかの漁船が持ち帰るマグロも放射能汚染されていた。米ソの核実験による「放射能雨」への恐怖も重なった。東京・杉並区や広島などで原水爆禁止の署名活動が始まり、全国に波及。翌年の第1回原水爆禁止世界大会につながった。

激化する開発競争

 なおも核開発競争はエスカレートの一途をたどった。57年3月、業を煮やした「原爆一号」故吉川清さんたち被爆者が約1カ月間続けたのが、原爆慰霊碑での初の座り込みだった。

 核実験のたびに、組織的に座り込むようになったのは73年7月から。原水爆禁止運動の対立から分裂した二つの広島県被団協を含む「広島被爆者団体連絡会議(被団連)」の準備会が結成され、フランスの核実験に共同で抗議した。

 座り込みの象徴的な存在が、哲学者の森滝市郎・広島大名誉教授だろう。62年4月から94年1月に亡くなるまで計475回、雨の日も風の日も原爆慰霊碑前に陣取った。

 「これで実験を阻止できるのか、という自問はあった。だが非暴力運動でヒロシマの怒りを世論に示そうとする信念は揺らがなかった」。73年7月の座り込みから加わっている広島県原水禁常任理事の横原由紀夫さん(73)は森滝さんの思いを代弁する。

 広島市は68年9月、フランスの水爆実験に対してドゴール大統領宛ての抗議文を初めて送った。これまで米国に243回、ロシア(旧ソ連)に188回など8カ国に607通。原爆資料館東館に縮刷版を張り出し、世界からの見学者にヒロシマの立ち位置を示してきた。東館は9月から改修のため閉鎖しており、再オープン後は画像データを閲覧する形式になるという。

 63年に米国、ソ連、英国が部分的核実験禁止条約(PTBT)に調印してからは、実験の多くが地下に移行した。核拡散防止条約(NPT)に加盟している核兵器保有国、米露英仏中は90年代以降、核爆発実験を自制している。

被爆国内の温度差

 被爆地は近年、北朝鮮の地下核実験に加え、爆発を伴わない米国の臨界前核実験やZマシンでのプルトニウム実験についても「核兵器を持ち続ける意思を表したものだ」として同様に抗議している。

 一方、米国の「核の傘」を求める日本政府は「核兵器の安全性、有効性を確保するためであり、核爆発を伴わない」と静観。被爆地と被爆国政府の温度差を浮き彫りにしている。

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サンディア国立研究所
 ロスアラモス(ニューメキシコ州)、ローレンス・リバモア(カリフォルニア州)と並ぶ米エネルギー省管轄の国立研究所。1948年に発足した。ニューメキシコ州中央のカートランド空軍基地内にある。同基地は、核弾頭の貯蔵施設も併設しているとみられている。研究所施設はロッキード・マーチン社の完全子会社が運営。大量破壊兵器の不拡散や環境技術などの研究も手広く行われている。

包括的核実験禁止条約(CTBT)
 核爆発を伴うあらゆる核実験を禁じる条約。1996年に国連総会で採択され、183カ国が署名、163カ国が批准した。発効には研究・発電用の原子炉を持つ44カ国の批准が必要だが、米国、中国、エジプト、イラン、イスラエルは未批准。北朝鮮、インド、パキスタンは署名もしていない。臨界前核実験は爆発を伴わないとして、米国やロシア、英国がこれまでに実施している。


1941年10月 ルーズベルト米大統領が原爆開発を命令。翌年マンハッタン
         計画が始動 

  45年7月  米ニューメキシコ州トリニティ・サイトで人類史上初の原爆
         実験

     8月  広島、長崎に原爆投下

  46年7月  米がマーシャル諸島のビキニ環礁で戦後初の原爆実験

  49年8月  ソ連がセミパラチンスク(現カザフスタン)で初の原爆実
         験。米国の核の独占体制が崩れ核軍拡競争へ

  52年10月 英国がオーストラリア西部モンテベロ島で初の原爆実験

     11月 米国がマーシャル諸島で初の水爆実験

  54年3月  米がビキニ環礁で最大規模の水爆実験。第五福竜丸の乗組員
         二三人が被災。水爆実験禁止・原水爆禁止の署名運動が日本
         国内で空前のうねりに

     9月  第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが放射線障害で死去

  55年8月  第1回原水爆禁止世界大会

    11月  ソ連がセミパラチンスクで初の水爆実験

  57年3月  英国の水爆実験計画を受けて「原爆一号」と呼ばれた吉川清
         さんたちが原爆慰霊碑前で座り込み

     5月  英国が太平洋クリスマス島で水爆実験

  60年2月  フランスがアルジェリアのサハラ砂漠で原爆実験

  61年10月 ソ連が世界最大規模の核実験。広島原爆の3800倍

  62年4月  森滝市郎さんたちが原爆慰霊碑前で座り込み。米国の大気圏
         内核実験の動きに抗議

     10月 キューバ危機。米ソの緊張がエスカレート

  63年8月  部分的核実験禁止条約(PTBT)に米ソ英が調印し大気圏
         内核実験を停止

  64年10月 中国がロプノールで原爆実験

  68年7月  核拡散防止条約(NPT)調印式

     8月  フランスが水爆実験

     9月  フランス水爆実験を受け広島市が初の抗議文を送る

  70年3月  NPT発効

  73年7月  フランス核実験計画に反対して二つの県被団協などが合同で
         座り込み

  74年5月  インドが「平和的核爆発」と称し実験

  90年10月 ソ連が核実験を実施。以後、爆発を伴う実験を一時停止

  91年8月  ソ連がセミパラチンスク核実験場の閉鎖を宣言

     12月 ソ連崩壊

  92年9月  米国が1032回目の地下核実験場。これ以降、爆発を
         伴う核実験を一時停止

  96年1月  フランスが核実験。次いでシラク大統領が「核実験終結」を
         宣言

     7月  中国が核実験。「これで凍結」と声明

     9月  包括的核実験禁止条約(CTBT)が国連総会で採択

  97年7月  米がネバダ州で初の臨界前核実験

  98年5月  インドが2回の地下核実験。続いてパキスタンも初の核実験

  99年10月 米上院がCTBT批准を否決

2006年10月 北朝鮮が地下核実験

  09年5月  北朝鮮が2回目の核実験

  10年9月  米オバマ政権で初の臨界前核実験

     11月 サンディア国立研究所でZマシンで少量のプルトニウムを使
         った新たな核性能実験

  13年2月  北朝鮮が3回目の核実験

(2014年12月22日朝刊掲載)