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連載 被爆70年

[伝えるヒロシマ 被爆70年] 学徒犠牲 涙の日誌 広島の5校で現存 生死調査完全ナラズ/悲痛極リナシ

 1945年8月6日投下の広島原爆で、計6255人の動員学徒が犠牲となった中等学校28校の流れをくむ広島県内の24校・学校法人のうち、被爆当日からを記録した「校務日誌」が少なくとも5校で現存していた。教育史上で未曽有の被害ともなった学徒の被爆状況を今に伝える一次資料だ。(「伝えるヒロシマ」取材班)

 5校は犠牲者数が多い順に、広島市立第一高女(市女、現舟入高)▽進徳高女(現進徳女子高)▽安田高女(現安田女子中高)▽修道中(現修道中高)▽比治山高女(現比治山女子中高)。いずれも校長室や事務室で保管する。

 進徳高女は、45年8月6日からの「教務仮日誌」を、教頭だった渡辺弥蔵氏(1879~1978年)が記していた。進徳女子高によると、これまで外部に公開した記録はないという。

 記述は「午前八時過ギ一発ノ閃光(せんこう)ト爆音トニ因(よっ)テ」から始まり、「将(まさ)ニ校門ヲ出発セントスル際、此(この)災厄ニ遭フ悲痛極リナシ」。2年生は建物疎開作業に向かうため校庭に集まっていた。爆心地から約1・4キロだった。

終戦後も混乱

 渡辺氏は翠町(南区)の自宅で負傷したが翌日に登校し、対処に努める。「父兄ノ捜索イヨイヨ数ヲ増シ応答ニ苦シム、涙アルノミ」(8月8日)。終戦となっても「生死ノ調査完全ナラズ」(同18日)と混乱が続いたさまを詳細につづっている。生徒405人、教職員10人が原爆死した。

 進徳女子高は「記憶の継承に役立てる使用申請なら、個人情報に配慮して公開に協力していきたい」としている。

電子化を検討

 ほかの4校の日誌は、県が72年に刊行した「広島県史 原爆資料編」で抜粋が掲載され、県立文書館が写しを所蔵。舟入高は、掲載された「市女昭和廿年八月六日罹災(りさい)関係経過日誌」のほかにも、最終的に死没者666人に上った直後の「生徒調査票」や1年生たちの「学籍簿」なども受け継いでいる。

 学校法人安田学園は年内の刊行を目指す「安田学園百年史」で、生徒289人の犠牲などを日誌を基に盛り込む。「金庫で保存してきたが劣化が進み、開けると崩れるような状態」と電子化を検討している。

 学徒の被爆をめぐる日誌は、旧制広島高(現広島大)の「生徒動員日誌」が97年に静岡市内の古書店で見つかり、広島市が入手し所蔵している。

 広島原爆では、中等学校をはじめ国民学校高等科や専門学校、大学の計48校で7196人の学徒死没者が出た。

(2015年6月8日朝刊掲載)