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連載 被爆70年

[伝えるヒロシマ 被爆70年] 復興見つめた愛用双眼鏡 理容店創業 秋信さん曽祖父 保管の父死去 今夏にも寄贈

 広島市南区の猿猴橋東詰めで1901年に始まった理容店を継ぐ秋信隆さん(66)は、創業者で原爆死した曽祖父の双眼鏡を亡き父の思いも込めて受け継ぐ。店を含む一帯がJR広島駅南口Bブロック再開発で様変わりする中、「復興の歩みも伝えたい」と父の一周忌を済ませる今夏、原爆資料館に寄せる考えだ。(「伝えるヒロシマ」取材班)

 45年8月6日、曽祖父仙太郎さん=当時(64)=は自宅兼店舗の2階で被爆し、運ばれた駅北の二葉山で亡くなった。理容いす7席の店は全焼した。

 父邦之さん(昨年6月に92歳で死去)は、祖父仙太郎さんの後継ぎとして働いていたが当時は召集され、中国大陸にいた。46年に復員すると、駅前に広がる闇市によって猿猴橋町の店跡は占拠されていた。

 「おやじは『店を小さくはさせん』と懸命に働いたそうです」。駅前の一角に「BARBER」の看板を掲げ、進駐軍兵士の来店も当て込んだという。

 駅前の区画整理事業に伴い57年、創業の場所に7席の店を新築した際、仙太郎さん愛用の双眼鏡が、レンズが溶けた状態で土中から見つかった。「理髪の師匠でもあり、仏壇に大事に納めていました」。秋信さんは高校を卒業すると父を師に習い、店に一緒に立った。

 再建から半世紀余、苦楽を共にした店舗は、Bブロック再開発事業のため2012年取り壊しとなる。父は駅前のにぎわい復活を願いながら息を引き取った。マンションなどが入る地上52階と、駐車場が主体の10階建てビル2棟は16年完成の予定である。

 秋信さんは、建設が進む10階東棟1階に今月、先行入居して営業を始めた。被爆と再建を刻む創業時の場所から東南にわずか20メートル離れているだけ。双眼鏡は劣化のためレンズからフレームが外れているが、新店舗に大切に置いている。

 「駅前が新しくなっても家族を奪った原爆と、残された人たちが復興に努めたのを忘れないために役立ててほしい」。父の一周忌まで手元で保管し、資料館に託したいという。

(2015年4月24日朝刊掲載)