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連載 被爆70年

伝えるヒロシマ ⑥ 寄せられた資料 罹災証明書

生き抜いた母子の記憶

 母が受け取った被爆直後の二つの罹災(りさい)証明書を、広島市安佐南区長束の木村英雄さん(78)は保存している。45年8月9日に「(広島)西警察署長」、同24日に当時住んでいた「中広町一丁目町内会長」からそれぞれ受け取った。

 西署長発行の証明書には「木村サクヨ外五名/八月六日ノ戦時災害ニ依ル罹災者タルコトヲ證明ス」とある。次女春江さん=当時(16)=は行方知れずとなっていた。勤務先の内務省中国四国土木出張所は、後に原爆ドームと呼ばれる県産業奨励館にあった。結局は遺骨も見つからなかった。

 父芳太郎さんは既に戦死。中広町(現西区)の家も焼失した母と子は、三滝山(同)や焼け残った本川国民学校(現中区)で避難生活を送った。海藻などを混ぜた団子などの配給を求めて廃虚を歩いた。証明書を示せば、配給品を受けたり、鉄道に優先的に乗ったりすることができた。

 証明書は、サクヨさんが被爆6年後に53歳で死去した後は、同居していた次男利夫さん(88)が受け継ぎ、三男の英雄さんが昨年秋に被爆体験記を表したのを機に譲り受けた。「つらくても家族で生き抜いたことを忘れないため、母も残す気になったんだと思います」

(2014年7月8日朝刊掲載)