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連載 被爆70年

伝えるヒロシマ ⑥ 寄せられた資料 弟の軍服

捜せなかった罪滅ぼし

 東広島市高屋町小谷の金沢常子さん(88)は、弟の遺骨代わりに、焼け焦げた軍服と紙幣入りの財布を保管してきた。県耕地課職員の昭二さんは、終戦が告げられる2週間前の45年8月1日、基町(現中区)に拠点を置く歩兵第一補充隊に応召した。17歳だった。

 弟の遺品は8月6日夕、郷里の旧小谷村にいた祖父常太郎さん=当時(82)=の元に届けられた。持参したのは補充隊にいた同郷の兵士だったという。詳しい経緯を聞こうにも、兵士は翌日に亡くなった。

 当時、2人きょうだいの両親は他界し、常子さんは結婚して呉市にいた。戦死した子どもがいる義母の手前、「弟を捜しに行きたい」と言いだせなかった。9月初め廃虚の広島へ入ったが、遺骨を見つけるすべはなかった。

 祖父は3年後に死去し、受け継いだ弟の遺品は額に納め、仏壇のそばに置いた。毎年8月6日は、中区加古町の県職員原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、銘板に刻まれた「金沢昭二」の名をなでてきた。「すぐに捜しに行ってやれなかった罪滅ぼし」の気持ちが消えないという。そして「手放すのは寂しいけれど、多くの人に見ていただきたい」と決断し、弟の遺品は原爆資料館に託した。

(2014年7月8日朝刊掲載)