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連載 被爆70年

[ヒロシマは問う 被爆70年] アジアの隣国と

 核保有を宣言した北朝鮮と向き合いながら、日本と同じく、米国の「核の傘」の下に非核政策を続ける韓国。日本の植民地時代に広島、長崎に渡り、原爆に遭った人も多い。その隣国との関係は歴史認識などをめぐり冷え込んでいる。核兵器廃絶に向けた両国の協力態勢をどうつくり出せるのか。北東アジアの非核兵器地帯構想も視野に探る。(道面雅量、金崎由美)

対立超えて日韓協力を

前総領事の思い 草の根連携 国を動かす

 東京・銀座の街頭に大音響の罵声がこだました。「朝鮮人を叩(たた)き出せ!」と書いた横断幕を掲げ、40人ほどの隊列が進む。竹島や従軍慰安婦の問題に触れつつも、特定の民族を一方的にののしる典型的なヘイトスピーチだ。非核三原則をもじり、「(韓国と)関わらない」などとする「非韓三原則」のプラカードを手にした人もいる。

 隊列が進む道沿いに、抗議のために集まった人々の波もあった。衝突を防ぐため、警察官が隊列の前後左右を取り囲む。都内から抗議に駆け付けた女性(45)は「あまりにひどい。在日コリアンや隣国の人々との関係をずたずたにする」と憤った。

ヘイトスピーチ心配

 日本でのヘイトスピーチは2013年ごろから、回数の増加や過激化が大きな社会問題になった。前駐広島韓国総領事の辛亨根(シン・ヒョングン)さんは「一時的な現象と思いたいが、心配になる。植民地支配や戦争をめぐる『負の歴史』に目を閉ざす動きに見えるから」と言う。

 父親の泳洙(ヨンス)さんたち在韓被爆者の運動を支えたのは、そうした負の歴史を直視し、乗り越えようとした日本人だった。「そこから後退してしまっては、国を超えたレベルで原爆の非人道性を世界に告発することはできない。父も心から願った核兵器廃絶は遠のく」

 泳洙さんは戦時下の1942年に来日。「やっとありついた職場」という広島市の軍指定製薬会社に勤めていた45年、爆心地から約1・2キロの電停で被爆し、顔などに大やけどを負って帰国した。67年、韓国原爆被害者協会の前身である原爆被害者援護協会の結成に参加。74年、渡日治療中に、在韓被爆者として初めて被爆者健康手帳を取得した。

日本側の献身に感銘

 辛さんは、父親に被爆の傷を負わせる要因になった日本の植民地支配を憎む。一方で、父の運動を支えた日本の人々と接し、深い感銘を受けてきた。「彼らの献身が、今の在韓被爆者への援護水準をもたらした。日本政府も韓国政府も動こうとしない中で、裁判を通じて勝ち取っていった」と振り返る。

 その経過は広島総領事に着任後、広島大大学院で博士論文にまとめた。日韓市民の草の根協力に着目した研究だ。「被爆者問題に限っても、過去にこれほどの積み重ねと成果があることを知ってほしい。韓国民にも伝えていきたい。一時の感情的な行動で台無しにしないでほしい」

 昨夏に退官し、今は中国の貿易会社のソウル事務所で顧問をしている。広島のほか中国の青島、瀋陽の総領事も経験した元外交官として、北東アジアの冷戦構造の解消、平和の定着は悲願でもある。

 辛さんの事務所があるソウル市街から北西へわずか50キロ進めば、北朝鮮との軍事境界線付近が見渡せる坡州(パジュ)市臨津閣(イムジンガク)に着く。物々しい鉄条網を備えた北緯38度線近くのフェンスには、朝鮮半島の平和的な統一を願う無数のリボンが下がっている。

 体制の維持を懸けて核を保有する北朝鮮に、どう放棄を促すことができるのか。核戦力の面でも進む中国の大国化にどう対処するのか。辛さんは「簡単に答えは出ない」としながらも、確信を込めて言う。

 「被爆国の日本と、被爆者の多さからすれば第2の被爆国ともいえる韓国が、今後も非核政策に徹し、地域の緊張を高めないことは必須だ。市民が力を合わせ、政府を動かした『正の歴史』も直視すれば、活路はある」

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韓国世論の今 対北朝鮮で核武装論も

 韓国の首都ソウルに、もし北朝鮮の核ミサイルが着弾したら―。ソウル市内に巨大な外観を現す「戦争記念館」には、そんな想定に基づいて核兵器の脅威を訴えるコーナーがある。

 朝鮮戦争の歴史を展示の中心にした館で、学校単位の見学が多い。市内の中学校から来た男子生徒(13)は「たった1発でソウルがこんなにやられるのか」。別の男子生徒(13)は「韓国は核兵器を持つべきではないと思う。ただ、米国がいつまでも守ってくれるかは不安」と話した。

 北朝鮮が「地下核実験に成功した」と初めて宣言したのは2006年。休戦状態で向き合う韓国は、核拡散防止条約(NPT)に加盟する核兵器を持たない国で、1991年から在韓米軍も戦術核を撤去している。進展する北朝鮮の核開発は、日本と並んで韓国の世論と政策を揺さぶり続けている。

 13年2月、北朝鮮は3度目の核実験をした。韓国の民間研究機関、峨山(アサン)政策研究院がその直後に行った19歳以上の韓国人男女千人を対象にした世論調査では、韓国も対抗して核武装することに66・5%が「賛成」と答えた。世論調査担当の金知〓(キム・ジヨン)ディレクター(43)は「若い世代ほど反対意見が強いが、30歳未満に限っても5割は賛成」と解説する。14年7月の調査では、全体で52・7%が賛成だった。

 この世論が韓国の非核政策を覆す可能性はあるだろうか。90年代に韓国国防省で核政策担当だった国防大の韓庸燮(ハン・ヨンソプ)教授(59)は「韓米同盟が強固な中で、NPTを脱退してまで核武装する選択はあり得ない。世論も北朝鮮の国力の疲弊をよく分かっており、過激化はしないだろう」とみる。

 韓教授はむしろ、日本に対する韓国民の視線に注意を促す。「非核三原則があるのに、核兵器に使えるプルトニウムを大量保有していることへの疑念はある」

 14年6月、日本はプルトニウム保有量を国際原子力機関(IAEA)に報告する際に、福島原発事故の影響で使われなかった燃料内の640キロ分を含めず、「報告漏れ」と報じられた。この時、韓国メディアには「日本の核武装疑惑が膨らんでいる」との反応が広がった。

 日韓の原子力政策に詳しい光云(カンウン)大の全鎮浩(チョン・ジンホ)教授(52)は「原発輸出でも日本と張り合う韓国で、自分たちも核燃料サイクルに乗り出し、プルトニウムを持ちたいという声は力を増している」と話す。実際に22日に合意した米韓原子力協定改定で、規制の一部緩和を得た。

 米国の「核の傘」の下で核兵器を持たないできた日本と韓国。両国間の関係がなかなか改善しない今、核政策をめぐっても疑心暗鬼が深まれば、北東アジアの非核化はいっそう遠のく。

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日韓の市民協力 課題は

 核兵器のない世界に向け、日本と韓国の市民はどう力を合わせていけるだろうか。在韓被爆者との交流、支援に力を尽くしてきた「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長の豊永恵三郎さん(79)と、韓国の近現代史を対日関係から検証するソウル市の「民族問題研究所」対外協力チーム長の金英丸(キム・ヨンファン)さん(42)に聞いた。

韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長 豊永恵三郎さん

若者同士が率直に対話を

 韓国大邱(テグ)市の若者グループと交流があり、5年前、現地での原爆展を支援した。見に行くと、地下鉄駅の通路でやっているので驚いた。「どこかの会館を借りてじっくり見てもらうべきだ」と伝えたが「そんなことをしても人は来ない。不特定多数の人の目に触れるにはこれしかない」と言う。

 原爆被害への社会的関心に、日本とは落差があることを痛感した。一方で、出会いや気付きのきっかけになる場を果敢につくり出そうとする若者に頼もしさも感じた。

 私の活動も、偶然の出会いから始まっている。高校教諭だった1971年、海外研修で韓国に渡る前日に泊まった宿で、テレビに在韓被爆者の姿が映し出された。衝撃を受け、研修の時間をやりくりして会いに行った。

 援護から見捨てられているのに憤りを覚え、支援団体の会員となり、広島支部をつくった。幾つもの訴訟を支援してきたが、「被爆者はどこにいても被爆者」と、普遍的な人権の問題として訴えることで運動への理解が広まり、前進できたと思う。今、核兵器の非人道性の議論が廃絶を後押ししているのもそうだろう。

 今、日韓関係の悪さは心配だが、人権の視点で核問題を考えられる両国の若者に期待したい。韓国で、植民地支配の記憶があまりに生々しい世代は、原爆を解放のイメージで捉えてしまうが、若者にはそれがない。歴史認識の問題も含め、若者同士が率直に意見をぶつけ合えば、そこから生まれるものがきっとある。

民族問題研究所(ソウル)対外協力チーム長 金英丸さん

歴史問題 振り回されずに

 被爆者の問題は韓国で、従軍慰安婦の問題などと並び、未清算の日本の戦後補償の文脈で捉えられることが多い。核兵器の脅威を伝える存在として被爆者が証言を求められる機会は、日本とは比べものにならないほど少ない。

 国民の関心度は慰安婦問題の方が圧倒的に高い。核兵器廃絶、核軍縮についての関心は薄いといわざるを得ない。原爆を通じて強調される日本人の被害者意識に対しての反発もある。

 ただ原爆を植民地支配からの解放のイメージで、肯定的に見る人は減ってきたと思う。北朝鮮の核開発に直面し、核被害の恐ろしさに対する認識は深まった。韓国では、被爆2世による援護を求める運動があり、私も支援した。反核運動の素地は耕されてきている。日本との連携がうまくいけば、さらに育つだろう。

 心配なのはやはり、歴史認識の問題が障害になることだ。今の安倍晋三政権と朴槿恵(パク・クネ)政権の動き方では、いっそうこじれかねない。個々の市民がそれに振り回されることなく、個別のテーマで力を合わせ、その成果から、それぞれの政府を動かしていく発想が大切だ。

 私は25歳の時、戦時中に北海道でダムや鉄道建設に駆り出され、命を落とした朝鮮半島出身者の遺骨を発掘する日韓共同ワークショップに参加した。以来、そこで培った日本人との絆に支えられ、日韓を行き来して平和運動を続けている。核兵器廃絶という大きな目標も、突き詰めれば人と人の出会いと絆から、一歩一歩迫っていけるものと思う。

地域の平和へ新たな道

非核化への提言 「緊張緩和」へ発想転換

 最近9年間に3回の核実験を強行した北朝鮮。核戦力への依存がウクライナ問題で露呈したロシア。核戦力の不透明性が批判される中国。それらの国々に囲まれた日本と韓国は、米国の「核の傘」の下…。

 北東アジア地域の実情を見ると、核兵器廃絶への道は険しい。北朝鮮の核問題を扱う6カ国協議も途絶えたままだ。

 その打開策を見いだすべく、長崎市の長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)は今月、「北東アジア非核兵器地帯」設立に向けた提言を発表した。

NPT会議で発信へ

 「北朝鮮だけに非核化を迫っても何も始まらない。周辺国が加わる非核兵器地帯の交渉で、地域の緊張緩和を導く発想に転換すべきだ」

 前任の梅林宏道氏からセンター長を引き継いだばかりの鈴木達治郎教授(64)は力を込める。「被爆地発の提案として、しっかり発信したい」。27日に開幕する核拡散防止条約(NPT)再検討会議で会合を開き、加盟する190カ国に提言をアピールする。同行する中村桂子准教授(42)たちスタッフと今、準備に忙しい。

 提言は、当事国の数を示す「スリー・プラス・スリー」案を基本とする。日本、韓国、北朝鮮は核兵器を持たないことを宣言し、米国、ロシア、中国の3カ国は核による攻撃や威嚇をしないことを約束。条約の締結を目指す。そのために「休戦」状態の朝鮮戦争を正式に終わらせることや、安全保障上の課題を話し合う協議会の常設を「包括的枠組み協定」として結ぶことを促している。

 長崎大にRECNAが設立された3年前から、各国の元政府高官や安全保障の専門家たちとスタッフが議論を重ねてきた。国際ワークショップには広島市立大広島平和研究所も協力や共催で加わった。提言を肉付けし、さらに具体化する作業は本年度以降も続く。

 構想を現実の政策にできるかは政府に懸かっている。提言を公表した直後の10日、鈴木センター長たちは外務省を訪れ、活用を要望した。非核を訴えるだけでなく、「こう進めるべきだ」と踏み込んだことに一定の評価を得たと感じたという。だが、核抑止力を米国に求めてきた日本政府にとって「安全保障を核兵器に頼らない地域」への一歩は簡単ではない。

世論の下支えが肝心

 「非核兵器地帯こそ、日本の安全保障に資する。日韓、特に日本のリードが突破口になる」。米国の首都ワシントンで昨年12月、モートン・ハルペリン氏(76)が取材に応え、力説した。米政権で数々の重責を担った元政府高官。北東アジア非核兵器地帯構想を強力に後押しする。RECNAの模索も、米核戦略と日米同盟を熟知するハルペリン氏の「参戦」で勢いを得た経緯がある。

 「日本が『核兵器は決して持たず、地域の非核化を目指す』と明確にすれば、韓国も乗らざるを得ない。朝鮮半島が統一した時に核兵器を引き継ぐのか、という疑念も晴れる。中国、ロシアも歓迎する」

 オバマ米政権は2010年、NPTを順守する非核保有国には核の使用や威嚇をしないと打ち出した。北朝鮮を交渉の場に導くのは難しい現状はあるが「非核兵器地帯構想を受け入れる用意は米国もある」と明言する。

 先行した他の非核兵器地帯の実践も基に、被爆地があらためて発した打開の道筋は、どこまで浸透するか。核兵器廃絶と地域の平和を願う、幅広い世論の下支えが肝心なのは言うまでもない。

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非核兵器地帯 南半球大半 北にも拡大

 特定の域内の国々は、核兵器の製造や取得、配備をしない。核拡散防止条約(NPT)に加盟する核兵器保有国は、核による攻撃や威嚇を加えない―。条約をつくり、そう約束し合うのが非核兵器地帯だ。

 南極地域の平和的利用を定めた南極条約(1961年発効)が先駆けとしてある。68年、メキシコやカリブ海を含む中南米に初めて非核兵器地帯ができたのは、米ソ両国が核戦争の一歩手前に達した62年のキューバ危機がきっかけだった。米国などの核実験で深刻な被害に遭った南太平洋をはじめ、地域が抱える問題を背景に設立されていった。北半球でも、ロシアと中国に挟まれたモンゴルは「一国非核地位」を宣言することで自国の安全保障を確立した。

 非核兵器地帯化が構想されながら、核開発を強行する国の存在や当事国間の対立関係から、難しい地域もある。例えばNPTの枠外で事実上、核を保有するイスラエルを含む中東や、北朝鮮を含む北東アジアだ。

 北東アジアをめぐっては、非核兵器地帯化の構想がいくつも提案されている。2008年には民主党が当時の岡田克也副代表を中心に条約草案を作った。だが日本の外務省が13年に発行した「日本の軍縮・不拡散外交」は、中国の核・通常戦力の現状なども念頭に、実現させる環境は整っていないとする。

 一方で、世界100カ国以上、南半球の大半に「非核」のエリアは広がっている。非核兵器地帯の設定を目指す機運の高まり、協議の積み重ねが、域内の相互信頼を育て、核放棄を促すこともある。ひそかに核開発をしていた南アフリカがその例だ。旧ソ連が崩壊した時に域内に核兵器を抱えていたカザフスタンも非核化を徹底させた。南米でも、対立関係にあったブラジルとアルゼンチンが、地帯設定を機に対話を深めたとされる。

 核兵器禁止条約を求める声も、国際社会で高まっている。ただ非核兵器地帯が増えない環境下では、核兵器を非合法化することは難しい。双方を車の両輪のように進めることこそが、核兵器に頼らない安全保障を国際的に確立させ、核兵器を廃絶する道筋になる。

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NPO法人「ピースデポ」特別顧問 梅林宏道さん

「核の傘」依存しない方向へ

 北東アジア非核兵器地帯構想にはどんな可能性や実現性があるのか。NPO法人「ピースデポ」特別顧問で、3月まで長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の初代センター長も務めた梅林宏道さんに聞いた。

  ―RECNAでの任期の締めくくりに、北東アジア非核兵器地帯設立に向けた提言をまとめましたね。
 領土や歴史認識をめぐる入り組んだ問題があり、米国の動向にも大きく左右される地域だが、非核化というテーマはかなりの程度、独自に追求し得る。場合によっては、非核化が糸口になって他の問題についても話しやすくなる。今こそ取り組むべき課題だ。

  ―北朝鮮が核兵器を放棄することに現実味はないというのが大方の見方では。
 それは議論の出発点だ。北朝鮮は繰り返し、なぜ核兵器を持つかを言っている。米国を念頭に「われわれは核の脅威にさらされ続けてきた」と。リビアやイラクのように体制を倒されるかもしれないという危機感がある。

 核の脅威、軍事力による国家転覆の脅威がなくなれば、核を持つ理由はなくなる。この地域に法的拘束力のある形で核の脅威をなくそうというのが、非核兵器地帯の趣旨だ。

  ―核戦力を高める中国への警戒感も広がっていますね。
 中国の核兵器はグローバル(世界的)な発想の戦力だ。米国への報復能力を高め、抑止力とするのが狙い。その傾向をやめさせるには、核拡散防止条約(NPT)を軸にした世界的な非核化の中で、米国やロシアの核とともに解決しないといけない。中国が北東アジア、日本に向けて核戦力を強化する理由はほとんどない。中国の動向をよしとはしないが、北東アジアの非核化を難しくするわけではない。

  ―日本はどんな行動を起こすべきでしょうか。
 2010年のNPT再検討会議で合意された行動計画の筆頭に、「すべての国は『核兵器なき世界』を達成するという目標と完全に一致する政策を追求することを約束する」とある。米国の「核の傘」に依存する国として、韓国とともに、依存しない方向へどう進むかが問われている。

 開幕が迫る今年のNPT再検討会議で、北東アジア非核兵器地帯の選択を主張する。そのテーマで6カ国協議の再開に持ち込む。これこそが今、日本と韓国がやるべきことだ。日韓関係が厳しい中でも、共通の利害の話になる。

  ―実現すれば大きな成果ですね。
 今回の会議が成果を上げられるか、懐疑的な見方も出ている。米ロの対立ムードの中で核保有国はなかなか動けそうにない。日本がNPTを救い得る、と訴えたい。核抑止に依存している国が新しい構想を言うのはすごくインパクトがある。

うめばやし・ひろみち
 37年兵庫県生まれ。東京大大学院博士課程修了。大学教員などを経て98年、核・平和問題に関する民間の研究組織「ピースデポ」を横浜市で設立した。2012年4月~14年3月、RECNAセンター長。

<北東アジアの核兵器をめぐる主な動き>

1945年 8月 第2次世界大戦終結
  48年 8月 韓国が建国宣言。翌月に北朝鮮も
  49年 8月 ソ連が初の核実験
  50年 6月 朝鮮戦争始まる(53年7月休戦)
  58年 1月 米軍が韓国に戦術核の配備を開始
  64年10月 中国が初の核実験
  65年 6月 日韓基本条約締結
  68年 1月 佐藤栄作首相、非核三原則とともに米国の核抑止力への依存
         を表明
  70年 3月 核拡散防止条約(NPT)発効
  71年11月 日本、衆院本会議決議で非核三原則を「国是」に
  85年12月 北朝鮮がNPT加盟
  89年12月 米ソが冷戦終結を宣言
  91年 9月 ブッシュ米大統領(父)が韓国配備の核兵器撤去を表明
  91年12月 韓国と北朝鮮が南北非核化共同宣言に合意(92年2月発
         効)
  92年10月 モンゴルが「非核兵器地位」を宣言(98年12月国連承
         認)
  93年 3月 北朝鮮が核施設の査察をめぐる反発からNPT脱退を宣言。
         6月に取り下げ
  94年10月 北朝鮮の核開発凍結で米朝が枠組み合意
  98年 8月 北朝鮮が弾道ミサイル「テポドン」の発射実験
2000年 6月 第1回南北首脳会談
  02年10月 北朝鮮がウラン濃縮計画を米側に認める
  03年 1月 北朝鮮が再びNPT脱退を宣言。国際原子力機関(IAEA
         )との査察協定破棄も
      8月 6カ国協議始まる
  05年 2月 北朝鮮が核兵器保有を公式宣言
      9月 6カ国協議で朝鮮半島の非核化などを盛り込んだ初の共同声
         明
  06年10月 北朝鮮が核実験。国連安全保障理事会が北朝鮮制裁決議
  08年12月 6カ国協議の首席代表会合。核検証方法をめぐり決裂
  09年 4月 北朝鮮が「人工衛星」として長距離弾道ミサイル発射
      5月 北朝鮮が2度目の核実験
  10年11月 北朝鮮が韓国・延坪島(ヨンピョンド)を砲撃
  12年 2月 IAEA査察官の復帰と食糧支援実施などの米朝合意
  13年 2月 北朝鮮が3回目の核実験
      4月 北朝鮮の最高人民会議が「核兵器国地位確立法」を制定
      9月 モンゴル大統領が国連での会合で、北東アジア非核兵器地帯
         創設に貢献すると表明

6カ国協議
 朝鮮半島の非核化を目的とした多国間協議で、初会合は2003年8月。議長国・中国のほか、日本と米国、韓国、ロシア、北朝鮮が参加している。2005年9月に北朝鮮の核放棄を明記した共同声明を採択したが、08年12月の協議で非核化の検証方法をめぐって北朝鮮が難色を示し、以後中断。13年1月、北朝鮮は共同声明について「死滅」したと宣言した。

(2015年4月25日朝刊掲載)