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原爆記録写真

被爆当日ネガ 市重文に 元本社カメラマン松重美人さん撮影の5点 広島市教委、初指定

 広島市教委は26日、元中国新聞社カメラマンの松重美人さん(1913~2005年)が被爆当日の市内で市民の惨状を撮影した写真ネガフィルム5点を市重要有形文化財に指定した。被爆の惨禍を伝える歴史資料としての価値を踏まえた。原爆被災写真のネガが市の文化財に指定されるのは初めて。(水川恭輔)

 1945年8月6日、中国新聞社写真部員で中国軍管区司令部報道班員でもあった松重さんは翠町(現南区西翠町)の自宅で被爆。爆心地から南東約2・2キロの御幸橋西詰めで、被爆直後の負傷者を撮影した。ほかにも、窓枠が吹き飛んだ理髪店兼自宅など計5カットをその日に収めた。

 松重さんの写真は、きのこ雲の下の市民の惨状を被爆当日に記録した唯一の現存写真として国内外で紹介され、原爆資料館(中区)でも展示。ネガは松重さんから生前に託された中国新聞社が所蔵している。

 市教委が専門家10人でつくる市文化財審議会に諮問し、指定が妥当との答申を今月受けた。この日は教育委員会議が開かれ、2年前に所有者から指定の要望が出されたことや、専門家が劣化対策の必要性を指摘していることが説明された後、指定を決めた。

 市によると、昭和期以降の写真のネガの文化財指定は全国的にも珍しい。市文化振興課は「被爆の実態を将来に継承していく上で、欠くことのできない貴重なネガフィルムだ。所有者の協力を得て保存環境を整えていきたい」としている。

【解説】後世へ つなぐ責務

 米軍による原爆投下の直後、きのこ雲の下で人間はどうなったのか。松重美人さん撮影の5枚のネガフィルムは、76年前の「あの日」の市民の姿を捉えた唯一の記録である。広島市の重要有形文化財への指定は、記録の原本としての歴史的な価値が評価された結果だ。

 被爆した市民が自ら残した記録という点も重要だ。撮影者の後年の証言が裏付けるように、被写体の背後から撮った構図に、そして5枚しか撮れなかったという事実に、当時の混乱とためらいが刻まれている。未知の新兵器に破壊し尽くされた側のまなざしの記録でもあるのだ。

 しかし歴史記録としての写真は劣化の危機にある。旧日本軍や報道機関、米軍なども被爆後の広島を撮影したが、原本が失われた例もある。松重さんのネガも、鑑定した専門家は「経年に応じた傷み」を指摘する。文化財指定は、貴重な遺産を後世へつなぐ責務をあらためて明確にした。

 被爆者の高齢化が進み、核兵器による惨禍を捉えた写真記録の重みは増す。撮影者は誰か、撮影の目的は何か。写真のフレームの内外で何が起きていたのか。もの言わぬ「証人」と向き合うため、学び、想像すべきことは多い。保存された写真記録を生かすには、私たち受け手の不断の努力も問われる。(明知隼二)

(2021年3月27日朝刊掲載)

1945年8月6日 松重美人さんのネガフィルム5点 広島市文化財指定 人間の惨禍を記録

子や孫へ 継承に生かして 故松重さんのネガ 広島市重文に 遺族 保存環境向上に期待

あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <上> 唯一の記録

あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <中> 劣化の危機

あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <下> 生きている資料