[ジュニアライターがゆく] 原爆詩を朗読する 被爆者の言葉 世界へ 設立25年「ひろしま音読の会」
25年4月28日
原爆によって市民が受けた苦しみや悲しみを深く知るにはどうすればいい? 被爆者の話をたくさん聞いたり原爆資料館(広島市中区)などに何度も通ったりする以外にも方法があります。その一つが、あの日の体験や肉親を失った悲しみが詰(つ)め込(こ)まれた原爆詩を声に出して読むことです。中国新聞ジュニアライターは広島市を拠点(きょてん)に朗読(ろうどく)活動をする2グループを取材し、さらに自分たちでも詩を作ってみました。
原爆詩の多くは、被爆者自らが原爆が落とされた日を思い起こして言葉を紡(つむ)いでいます。「ひろしま音読の会」代表の佐藤千佳砂さん(61)=西区=は「心臓(しんぞう)がぎゅっと握(にぎ)りつぶされるような悲しみがある」と受け止めます。声に出して読むことで「戦争や核兵器のない世界を築くための輪を広げたい」と願います。
会は2000年に設立し、現在は広島県内の現役・元アナウンサー、演劇(えんげき)の経験者たち11人が活動しています。被爆体験記や文学作品も読み、毎年春と夏には公演します。「どれほどの熱さだったのか」「どれほど痛(いた)かっただろう」―。佐藤さんたちは思いを巡(めぐ)らせ朗読するそうです。
佐藤さんは「戦争や核兵器が及(およ)ぼす苦しみは、その時だけではなくて長く続く。朗読によって実態を伝えたい」と力を込めます。
国立広島原爆死没者追悼(しぼつしゃついとう)平和祈念(きねん)館(中区)もボランティアによる朗読会を日本語と英語で開いています。被爆者の高齢化(こうれいか)に伴い、本人から直接体験を聞く代わりに継承(けいしょう)できる手段(しゅだん)として05年に始めました。77人が活動し、23年度は修学旅行生など1万人以上が朗読会に参加しました。
メンバーは同館が所蔵(しょぞう)する体験記や原爆詩人の峠三吉、山代巴(ともえ)が編んだ「原子雲の下より」に収(おさ)められた詩を読みます。朗読会の参加者にも詩を選んで読んでもらいます。友川裕己子さん(71)=東区=は「感情を込めすぎない方がいい」とアドバイスします。表現が過剰(かじょう)になると聞き手が気を取られ、内容に集中しにくくなるからです。
私たちも朗読会に参加し声に出して読みました。被爆者の心情や当時の光景が頭に浮(う)かび、体験を聞くだけよりも自分ごととして捉(とら)えやすく感じました。
原爆詩
被爆者や遺族(いぞく)が、肉親を失った悲しみや壊滅(かいめつ)した町で目にした惨状(さんじょう)、戦後も続いた苦しみをつづった詩。「にんげんをかえせ」の言葉で知られる峠三吉の「序」、林幸子(さちこ)の「ヒロシマの空」、栗原貞子の「生ましめんかな」などのほか、市民が書き残した無題の詩も多数あります。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で20年にわたり朗読ボランティアをする被爆者の清水恵子さん(81)=広島市東区=に思いを聞きました。
1歳で入市被爆したので、記憶は全くありません。私は体験を話すことはできませんが、朗読で原爆を伝えています。
朗読を始めた頃は被爆者であることを積極的に説明していませんでした。人前で話す資格はないと思っていたからです。しかし、原爆詩や体験記を声に出すうちに「思い出したくないけれど伝えなくては」という書き手の強い意志を感じ、言葉にすることの大切さを教わりました。
朗読会に参加した若(わか)いお父さんが、原爆詩を書いた当時の子どもにわが子を重ねて涙(なみだ)を流していました。私も、作者に自分を重ねて考えることがあります。もし自分だったらと想像しながら耳を澄(す)ませてほしいです。
ジュニアライターも詩を合作しました。原爆の恐(おそ)ろしさや悲惨(ひさん)さを伝えるとともに、平和な世界を実現するために自分たちが果たすべき役割(やくわり)や未来への希望を作品に織(お)り交ぜました。
タイトルは「育てよう、何度でも咲(さ)く平和の花を」です。被爆者への取材で考えたことや原爆資料館を訪(おとず)れた時の思い、日々の暮(く)らしの中で平和を感じる場面などをそれぞれが言葉で表し、一つの詩にまとめました。
この詩を2025ひろしまフラワーフェスティバル(FF)のステージで披露(ひろう)します。同世代の10代をはじめ大人にも聞いてもらい、行動を起こすきっかけになればと願っています。
大切なのは、聞き手がどう受け止めるかを考え、伝え方を工夫することだと思っています。多くの人に届(とど)くように、本番に向け力を合わせて練習します。
FF初日の5月3日午後1時半、中国新聞ジュニアライターが平和記念公園(広島市中区)のカーネーションステージに登場します。テーマは「声で届ける平和」です。
前半は、原爆詩を朗読します。今回取材した朗読グループのメンバーも参加します。自分たちで作ったオリジナルの詩も披露します。
後半は、園内の原爆資料館北側に立つ被爆樹木を歌った「アオギリのうた」を合唱します。ロシアによる侵攻(しんこう)でウクライナから広島へ避難(ひなん)した人や、同じ被爆地で原爆・平和関連の取材に取り組む崇徳(そうとく)高(西区)新聞部の皆さんとジュニアライターの計約60人が声を合わせます。
被爆80年のFFで、詩や歌を通じて平和について考えてみませんか。
私たちが担当しました
高3相馬吏子、藤原花凛、森美涼、高2尾関夏彩、川本芽花、竹岡伊代莉、山下裕子、高1川鍋岳、西谷真衣、松藤凜、矢沢輝一、中2岡本龍之介、相馬吏緒、森本希承、中1竹内香琳、卒業生の大学1年田口詩乃が担当しました。
(2025年4月28日朝刊掲載)
ジュニアライターがFFで朗読する詩の全文はこちら
【取材を終えて】
佐藤千佳砂さんの、朗読でヒロシマを伝えようと思ったきっかけや、活動に込める思いが印象に残りました。佐藤さんは広島に引っ越し、原爆資料館などで8月6日の惨状を目の当たりにし「この出来事を伝えなければならない」と「ひろしま音読の会」の活動を約20年間続けてきたそうです。
今回の取材では、朗読前の体操と「外郎売」を読む体験もしました。私の滑舌が悪く、なかなか追いつけませんでしたが、楽しみながら取材をすることができました。(中2岡本龍之介)
「ひろしま音読の会」で代表を務める佐藤千佳砂さんは、横浜に実家があり、広島に引っ越してくるまでは放射線の影響などの知識はあまりなかったそうです。広島育ちの僕は、国内の人は原爆についてある程度の知識があると思っていたので、驚きました。しかし、自分自身を振り返ってみると、僕は先日、テレビ番組を見ていて、沖縄に米軍が上陸した地が慶良間諸島であると初めて知りました。また、東京大空襲などについて学ぶ機会も、被害地域の人に比べて、あまりないでしょう。このことから、戦争についての学習や知識は地域によって異なることが分かりました。僕たちは、自分の地域以外の戦争についても学び合う必要があると思います。その学びのために、当時の惨状や体験者の心情を伝える朗読は大きな意義があると感じました。(中2森本希承)
友川さんの「上手に読むと聞き手がしらける」という発言にびっくりしました。朗読は全て心を込めて上手に読むものだという固定概念があったからです。「朗読は演劇とは違う」という言葉がとても勉強になりました。フラワーフェスティバルでは自然に読む意識を持ち、朗読をしたいです。
また、朗読会に参加した人の反応が印象に残りました。ある外国人観光客は、1945年末までに約14万人が亡くなったと知り涙を流したそうです。修学旅行生は「知らないことが知れて良かった」という回答が多いそうです。
清水さんは中国の参加者から「原爆投下が良いことだとは思わないけれど、原爆が中国人を解放したことも忘れないで」と言われたことがあるそうです。日本は被爆国ですが、加害の面を考えることも大切だと思いました。平和な世界のために、小さくても自分ができることを考え、実行していくべきだと思います。(中2岡本龍之介)
朗読会に参加し、聞くだけではなく自分で読むことで、筆者の気持ちや状況を具体的に想像することができました。
また清水さんが私たち若い世代に向けて「分かったで終わらずに、そこから発信してほしい」と言われたことがとても印象に残っています。ジュニアライターの活動を通じてたくさんの人に原爆を伝えたいです。(中2相馬吏緒)
今回の取材で印象的だったのは、原爆詩との向き合い方です。ボランティアの方に朗読で大切にしていることを聞くと「筆者に寄り添う気持ち」、「詩に書かれた状況を想像する」、「演劇のように感情を込め過ぎない」という答えがありました。
私も取材の中で原爆詩を朗読しましたが、一つ一つの言葉の重みを表現するのが難しく、読み終わった後、これで良かったのかなと感じました。筆者の気持ちを代弁するには、被爆当時のことを勉強し、表現を工夫するなど伝えるための努力が必要なのだと痛感しました。
私たちジュニアライターはフラワーフェスティバルで原爆詩の朗読をします。作者に寄り添い、思いを伝えることを意識しながら、原爆の悲惨さを観客の心に届けたいと思いました。(高1西谷真衣)
朗読会に参加し、被爆体験記と原爆詩の朗読を聞きました。
体験記を聞く時、手記をまとめた冊子が配られましたが、ボランティアの方は「見ないで聞いてください」と言われました。冊子を見ながら聞くと、文字を追ってしまい、ページをめくる音に気が散ってしまいます。「耳で聞いて心で受け取ってほしい」と話していました。
読むときは「上手に読もうとしない」ことを心がけているそうです。感情を込め、セリフを強調して読むと聞き手が内容に集中できなくなるからです。
ボランティアの朗読を聞いた後、私たちも原爆詩を読みました。声に出すと光景が鮮明に浮かび上がりました。その感覚はしばらく忘れられませんでした。ヒロシマを知りたいと思っている人は朗読会に参加すべきです。生の声を通して世界に平和を伝えたいです。(高1松藤凜)
メンバーが書いた詩は、それぞれの平和への思いがさまざまな表現で書かれていました。詩には、その人が考える平和とはどのようなものなのかが表れていて、ジュニアライターの意見に触れる良い機会になりました。
フレーズを選びながら一つの詩を作るのは難しいと思っていました。ただ始めてみると、全員が平和という同じゴールを目指して詩を書いているため、ただ違うものを組み合わせるのではなく、一つの詩を大きくしていくような印象を受けました。
出来上がった詩は、私たちの平和への願いが詰まったものとなりました。フラワーフェスティバルでは、多くの人に聞いてもらい、平和の大切さに思いをはせてほしいです。(高1川鍋岳)
「コレガ人間ナノデス…」。原爆詩や被爆者の体験記を朗読している「ひろしま音読の会」の練習を取材しました。皮膚が垂れ下がったり、ガラスが突き刺さったり、内蔵が飛び出たりした被爆者の様子が生々しく想像でき、原爆の恐ろしさを一層強く感じました。当時の惨状や被爆者の苦しみに想像を巡らせた上で声を発する朗読は、こんなにも心に響き、戦争の悲惨さを感じさせるものかと思いました。代表の佐藤千佳砂さんは横浜に実家があり、放射線の影響などは深く知らなかったそうですが、もっと勉強して、当時のことを発信しなければいけないと、朗読活動を続けてきたそうです。平和な世界のために、自分は何ができるのかを考え、行動してきた佐藤さんの姿から、私もまずは勉強して知識を蓄え、発信できるよう頑張りたいと決意しました。(高1矢沢輝一)
朗読会のプログラムの中に、参加者が原爆詩の朗読をする時間が設けられていることが印象に残りました。書いた人の気持ちや情景を想像しながら読むので、受け身で聞いている時よりも自分の中に落とし込みやすかったです。
清水さんによると、欧米の参加者には体験記よりも原爆詩の方が好評だそうです。「詩に親しみがある文化だからではないか」と推測されていました。原爆詩は海外に原爆体験を伝えるための良い方法だと学びました。
フラワーフェスティバルの発表では、詩を書いた人の気持ちや状況を想像してもらえるような朗読をしたいです。(高2山下裕子)
今回の取材で、戦争の記憶を「声」で伝えることの重要性を実感することができました。「伝えたからと言って急に平和になることはない。でも、知らないことが一番怖い」「被爆当時を実際に体験することはできないけれど、当時の惨状に思いをはせ、自分だとどう感じるかを想像することはできる」。代表の佐藤千佳砂さんの言葉を通じ、「ひろしま音読の会」の皆さんの強い思いを感じました。実際に朗読を聴かせてもらうと、戦争を知らない私たちでも当時の様子を想像することができ、被爆者の悲しみや苦しみが伝わってくるようでした。私は、原爆について自分の声で伝えた経験があまりありません。取材を通して学んだことを生かし、フラワーフェスティバルでは、原爆詩の朗読を通じて、戦争の記憶や被爆者の思いをたくさんの人に伝えたいです。(高2尾関夏彩)
声出しの体験や、朗読の練習風景の見学をし、想像以上に朗読は難しいと感じました。小学校の授業などで朗読をしたことはありましたが、その時とはレベルが全く違いました。「ひろしま音読の会」の皆さんの朗読は、情景や心情が思い浮かばせる力がありました。代表の佐藤千佳砂さんは、心臓を握りつぶされるような悲しみがこもる被爆者の言葉を、涙を流さずに朗読するため、練習を重ねると話していました。私たちもフラワーフェスティバルで、筆者の感情や当時の情景が伝わる朗読ができるよう、練習に励みたいです。(高2山下裕子)
体験記や原爆詩を朗読するときは「上手に」読もうとしてはいけないと教わりました。演劇のように感情を込めるのではなく、安らかに読む方が聞き手に伝わりやすいそうです。
取材する中で上手に読まないことは「聞き手に想像の余地を持たせる」ためでもあるのではないかと思いました。さまざまな体験記や詩があるので、受け止め方もそれぞれです。仲の良いきょうだいを持つ人なら、きょうだいを亡くした人の話で心が揺さぶられるかもしれない。親ならば子どもを亡くした親の話に感情移入するかもしれない。上手に読むと読み方に気を取られるため、安らかに読む方が、被爆体験を自分のものに落とし込める「余地」を与えられるのだと思います。
「私は筆者にはなれない。けれど近づきたい」とボランティアの方は話していました。私たちも被爆者の気持ちに近づくため、当時の生活や社会情勢について学び、体験記や詩の息づかいから筆者の感情を想像することが必要です。そしてそれを伝えていく使命があります。記事や朗読を通して、今を生きるすべての人々に、被爆者の体験が自分事だと認識してもらえるよう、努力していきたいです。(高3藤原花凛)
「ひろしま音読の会」の皆さんの朗読は、声のみでの表現であるにもかかわらず、場面の情景が鮮明に浮かんできました。そのような朗読ができるのは、被爆者たちの体験をよく想像して、自分のものにしようとする姿勢があるからだと思います。会員の中には実際に被爆した人はいませんが、原爆資料館で見た溶けたガラスから「このガラスが溶けるくらいの熱さは、どれほどのものだろう」「ちょっとやけどしただけでも熱いのに、その熱さに自分だったら耐えられるだろうか」など具体的に想像し、自分の中に落とし込んでいくそうです。これは被爆者や戦争体験者の記憶をつないでいくときに大切なことだと考えます。私もジュニアライターとして、被爆者の体験を具体的に自分に置き換えてみて、彼らの苦しみを理解し、そして伝えていきたいと思います。
私たちもフラワーフェスティバルで原爆詩を朗読します。詩の背景にある一人一人の体験や思い、人生について考えを巡らせながら私たちなりに表現できるように頑張りたいです。(高3藤原花凛)
「ひろしま音読の会」は、被爆者の体験記や原爆詩、文学作品を朗読しています。相手に伝わるよう「感情をこめすぎないよう淡々と朗読できるまで練習を重ねる」と、代表の佐藤千佳砂さんは話していました。心臓が握りつぶされるような悲しみを、想像力を使いながら咀嚼(そしゃく)していくそうです。被爆者が高齢化する中、課題となっている記憶の継承において朗読が果たす役割は大きいと思いました。(高3森美涼)
原爆詩の多くは、被爆者自らが原爆が落とされた日を思い起こして言葉を紡(つむ)いでいます。「ひろしま音読の会」代表の佐藤千佳砂さん(61)=西区=は「心臓(しんぞう)がぎゅっと握(にぎ)りつぶされるような悲しみがある」と受け止めます。声に出して読むことで「戦争や核兵器のない世界を築くための輪を広げたい」と願います。
会は2000年に設立し、現在は広島県内の現役・元アナウンサー、演劇(えんげき)の経験者たち11人が活動しています。被爆体験記や文学作品も読み、毎年春と夏には公演します。「どれほどの熱さだったのか」「どれほど痛(いた)かっただろう」―。佐藤さんたちは思いを巡(めぐ)らせ朗読するそうです。
佐藤さんは「戦争や核兵器が及(およ)ぼす苦しみは、その時だけではなくて長く続く。朗読によって実態を伝えたい」と力を込めます。
国立広島原爆死没者追悼(しぼつしゃついとう)平和祈念(きねん)館(中区)もボランティアによる朗読会を日本語と英語で開いています。被爆者の高齢化(こうれいか)に伴い、本人から直接体験を聞く代わりに継承(けいしょう)できる手段(しゅだん)として05年に始めました。77人が活動し、23年度は修学旅行生など1万人以上が朗読会に参加しました。
メンバーは同館が所蔵(しょぞう)する体験記や原爆詩人の峠三吉、山代巴(ともえ)が編んだ「原子雲の下より」に収(おさ)められた詩を読みます。朗読会の参加者にも詩を選んで読んでもらいます。友川裕己子さん(71)=東区=は「感情を込めすぎない方がいい」とアドバイスします。表現が過剰(かじょう)になると聞き手が気を取られ、内容に集中しにくくなるからです。
私たちも朗読会に参加し声に出して読みました。被爆者の心情や当時の光景が頭に浮(う)かび、体験を聞くだけよりも自分ごととして捉(とら)えやすく感じました。
原爆詩
被爆者や遺族(いぞく)が、肉親を失った悲しみや壊滅(かいめつ)した町で目にした惨状(さんじょう)、戦後も続いた苦しみをつづった詩。「にんげんをかえせ」の言葉で知られる峠三吉の「序」、林幸子(さちこ)の「ヒロシマの空」、栗原貞子の「生ましめんかな」などのほか、市民が書き残した無題の詩も多数あります。
書き手の思いに耳を澄ませて 朗読ボランティア 被爆者の清水さん
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で20年にわたり朗読ボランティアをする被爆者の清水恵子さん(81)=広島市東区=に思いを聞きました。
1歳で入市被爆したので、記憶は全くありません。私は体験を話すことはできませんが、朗読で原爆を伝えています。
朗読を始めた頃は被爆者であることを積極的に説明していませんでした。人前で話す資格はないと思っていたからです。しかし、原爆詩や体験記を声に出すうちに「思い出したくないけれど伝えなくては」という書き手の強い意志を感じ、言葉にすることの大切さを教わりました。
朗読会に参加した若(わか)いお父さんが、原爆詩を書いた当時の子どもにわが子を重ねて涙(なみだ)を流していました。私も、作者に自分を重ねて考えることがあります。もし自分だったらと想像しながら耳を澄(す)ませてほしいです。
「育てよう、何度でも咲く平和の花を」 願い込めて詩を合作
ジュニアライターも詩を合作しました。原爆の恐(おそ)ろしさや悲惨(ひさん)さを伝えるとともに、平和な世界を実現するために自分たちが果たすべき役割(やくわり)や未来への希望を作品に織(お)り交ぜました。
タイトルは「育てよう、何度でも咲(さ)く平和の花を」です。被爆者への取材で考えたことや原爆資料館を訪(おとず)れた時の思い、日々の暮(く)らしの中で平和を感じる場面などをそれぞれが言葉で表し、一つの詩にまとめました。
この詩を2025ひろしまフラワーフェスティバル(FF)のステージで披露(ひろう)します。同世代の10代をはじめ大人にも聞いてもらい、行動を起こすきっかけになればと願っています。
大切なのは、聞き手がどう受け止めるかを考え、伝え方を工夫することだと思っています。多くの人に届(とど)くように、本番に向け力を合わせて練習します。
FFステージで発表します 初日の3日
FF初日の5月3日午後1時半、中国新聞ジュニアライターが平和記念公園(広島市中区)のカーネーションステージに登場します。テーマは「声で届ける平和」です。
前半は、原爆詩を朗読します。今回取材した朗読グループのメンバーも参加します。自分たちで作ったオリジナルの詩も披露します。
後半は、園内の原爆資料館北側に立つ被爆樹木を歌った「アオギリのうた」を合唱します。ロシアによる侵攻(しんこう)でウクライナから広島へ避難(ひなん)した人や、同じ被爆地で原爆・平和関連の取材に取り組む崇徳(そうとく)高(西区)新聞部の皆さんとジュニアライターの計約60人が声を合わせます。
被爆80年のFFで、詩や歌を通じて平和について考えてみませんか。
私たちが担当しました
高3相馬吏子、藤原花凛、森美涼、高2尾関夏彩、川本芽花、竹岡伊代莉、山下裕子、高1川鍋岳、西谷真衣、松藤凜、矢沢輝一、中2岡本龍之介、相馬吏緒、森本希承、中1竹内香琳、卒業生の大学1年田口詩乃が担当しました。
(2025年4月28日朝刊掲載)
ジュニアライターがFFで朗読する詩の全文はこちら
【取材を終えて】
佐藤千佳砂さんの、朗読でヒロシマを伝えようと思ったきっかけや、活動に込める思いが印象に残りました。佐藤さんは広島に引っ越し、原爆資料館などで8月6日の惨状を目の当たりにし「この出来事を伝えなければならない」と「ひろしま音読の会」の活動を約20年間続けてきたそうです。
今回の取材では、朗読前の体操と「外郎売」を読む体験もしました。私の滑舌が悪く、なかなか追いつけませんでしたが、楽しみながら取材をすることができました。(中2岡本龍之介)
「ひろしま音読の会」で代表を務める佐藤千佳砂さんは、横浜に実家があり、広島に引っ越してくるまでは放射線の影響などの知識はあまりなかったそうです。広島育ちの僕は、国内の人は原爆についてある程度の知識があると思っていたので、驚きました。しかし、自分自身を振り返ってみると、僕は先日、テレビ番組を見ていて、沖縄に米軍が上陸した地が慶良間諸島であると初めて知りました。また、東京大空襲などについて学ぶ機会も、被害地域の人に比べて、あまりないでしょう。このことから、戦争についての学習や知識は地域によって異なることが分かりました。僕たちは、自分の地域以外の戦争についても学び合う必要があると思います。その学びのために、当時の惨状や体験者の心情を伝える朗読は大きな意義があると感じました。(中2森本希承)
友川さんの「上手に読むと聞き手がしらける」という発言にびっくりしました。朗読は全て心を込めて上手に読むものだという固定概念があったからです。「朗読は演劇とは違う」という言葉がとても勉強になりました。フラワーフェスティバルでは自然に読む意識を持ち、朗読をしたいです。
また、朗読会に参加した人の反応が印象に残りました。ある外国人観光客は、1945年末までに約14万人が亡くなったと知り涙を流したそうです。修学旅行生は「知らないことが知れて良かった」という回答が多いそうです。
清水さんは中国の参加者から「原爆投下が良いことだとは思わないけれど、原爆が中国人を解放したことも忘れないで」と言われたことがあるそうです。日本は被爆国ですが、加害の面を考えることも大切だと思いました。平和な世界のために、小さくても自分ができることを考え、実行していくべきだと思います。(中2岡本龍之介)
朗読会に参加し、聞くだけではなく自分で読むことで、筆者の気持ちや状況を具体的に想像することができました。
また清水さんが私たち若い世代に向けて「分かったで終わらずに、そこから発信してほしい」と言われたことがとても印象に残っています。ジュニアライターの活動を通じてたくさんの人に原爆を伝えたいです。(中2相馬吏緒)
今回の取材で印象的だったのは、原爆詩との向き合い方です。ボランティアの方に朗読で大切にしていることを聞くと「筆者に寄り添う気持ち」、「詩に書かれた状況を想像する」、「演劇のように感情を込め過ぎない」という答えがありました。
私も取材の中で原爆詩を朗読しましたが、一つ一つの言葉の重みを表現するのが難しく、読み終わった後、これで良かったのかなと感じました。筆者の気持ちを代弁するには、被爆当時のことを勉強し、表現を工夫するなど伝えるための努力が必要なのだと痛感しました。
私たちジュニアライターはフラワーフェスティバルで原爆詩の朗読をします。作者に寄り添い、思いを伝えることを意識しながら、原爆の悲惨さを観客の心に届けたいと思いました。(高1西谷真衣)
朗読会に参加し、被爆体験記と原爆詩の朗読を聞きました。
体験記を聞く時、手記をまとめた冊子が配られましたが、ボランティアの方は「見ないで聞いてください」と言われました。冊子を見ながら聞くと、文字を追ってしまい、ページをめくる音に気が散ってしまいます。「耳で聞いて心で受け取ってほしい」と話していました。
読むときは「上手に読もうとしない」ことを心がけているそうです。感情を込め、セリフを強調して読むと聞き手が内容に集中できなくなるからです。
ボランティアの朗読を聞いた後、私たちも原爆詩を読みました。声に出すと光景が鮮明に浮かび上がりました。その感覚はしばらく忘れられませんでした。ヒロシマを知りたいと思っている人は朗読会に参加すべきです。生の声を通して世界に平和を伝えたいです。(高1松藤凜)
メンバーが書いた詩は、それぞれの平和への思いがさまざまな表現で書かれていました。詩には、その人が考える平和とはどのようなものなのかが表れていて、ジュニアライターの意見に触れる良い機会になりました。
フレーズを選びながら一つの詩を作るのは難しいと思っていました。ただ始めてみると、全員が平和という同じゴールを目指して詩を書いているため、ただ違うものを組み合わせるのではなく、一つの詩を大きくしていくような印象を受けました。
出来上がった詩は、私たちの平和への願いが詰まったものとなりました。フラワーフェスティバルでは、多くの人に聞いてもらい、平和の大切さに思いをはせてほしいです。(高1川鍋岳)
「コレガ人間ナノデス…」。原爆詩や被爆者の体験記を朗読している「ひろしま音読の会」の練習を取材しました。皮膚が垂れ下がったり、ガラスが突き刺さったり、内蔵が飛び出たりした被爆者の様子が生々しく想像でき、原爆の恐ろしさを一層強く感じました。当時の惨状や被爆者の苦しみに想像を巡らせた上で声を発する朗読は、こんなにも心に響き、戦争の悲惨さを感じさせるものかと思いました。代表の佐藤千佳砂さんは横浜に実家があり、放射線の影響などは深く知らなかったそうですが、もっと勉強して、当時のことを発信しなければいけないと、朗読活動を続けてきたそうです。平和な世界のために、自分は何ができるのかを考え、行動してきた佐藤さんの姿から、私もまずは勉強して知識を蓄え、発信できるよう頑張りたいと決意しました。(高1矢沢輝一)
朗読会のプログラムの中に、参加者が原爆詩の朗読をする時間が設けられていることが印象に残りました。書いた人の気持ちや情景を想像しながら読むので、受け身で聞いている時よりも自分の中に落とし込みやすかったです。
清水さんによると、欧米の参加者には体験記よりも原爆詩の方が好評だそうです。「詩に親しみがある文化だからではないか」と推測されていました。原爆詩は海外に原爆体験を伝えるための良い方法だと学びました。
フラワーフェスティバルの発表では、詩を書いた人の気持ちや状況を想像してもらえるような朗読をしたいです。(高2山下裕子)
今回の取材で、戦争の記憶を「声」で伝えることの重要性を実感することができました。「伝えたからと言って急に平和になることはない。でも、知らないことが一番怖い」「被爆当時を実際に体験することはできないけれど、当時の惨状に思いをはせ、自分だとどう感じるかを想像することはできる」。代表の佐藤千佳砂さんの言葉を通じ、「ひろしま音読の会」の皆さんの強い思いを感じました。実際に朗読を聴かせてもらうと、戦争を知らない私たちでも当時の様子を想像することができ、被爆者の悲しみや苦しみが伝わってくるようでした。私は、原爆について自分の声で伝えた経験があまりありません。取材を通して学んだことを生かし、フラワーフェスティバルでは、原爆詩の朗読を通じて、戦争の記憶や被爆者の思いをたくさんの人に伝えたいです。(高2尾関夏彩)
声出しの体験や、朗読の練習風景の見学をし、想像以上に朗読は難しいと感じました。小学校の授業などで朗読をしたことはありましたが、その時とはレベルが全く違いました。「ひろしま音読の会」の皆さんの朗読は、情景や心情が思い浮かばせる力がありました。代表の佐藤千佳砂さんは、心臓を握りつぶされるような悲しみがこもる被爆者の言葉を、涙を流さずに朗読するため、練習を重ねると話していました。私たちもフラワーフェスティバルで、筆者の感情や当時の情景が伝わる朗読ができるよう、練習に励みたいです。(高2山下裕子)
体験記や原爆詩を朗読するときは「上手に」読もうとしてはいけないと教わりました。演劇のように感情を込めるのではなく、安らかに読む方が聞き手に伝わりやすいそうです。
取材する中で上手に読まないことは「聞き手に想像の余地を持たせる」ためでもあるのではないかと思いました。さまざまな体験記や詩があるので、受け止め方もそれぞれです。仲の良いきょうだいを持つ人なら、きょうだいを亡くした人の話で心が揺さぶられるかもしれない。親ならば子どもを亡くした親の話に感情移入するかもしれない。上手に読むと読み方に気を取られるため、安らかに読む方が、被爆体験を自分のものに落とし込める「余地」を与えられるのだと思います。
「私は筆者にはなれない。けれど近づきたい」とボランティアの方は話していました。私たちも被爆者の気持ちに近づくため、当時の生活や社会情勢について学び、体験記や詩の息づかいから筆者の感情を想像することが必要です。そしてそれを伝えていく使命があります。記事や朗読を通して、今を生きるすべての人々に、被爆者の体験が自分事だと認識してもらえるよう、努力していきたいです。(高3藤原花凛)
「ひろしま音読の会」の皆さんの朗読は、声のみでの表現であるにもかかわらず、場面の情景が鮮明に浮かんできました。そのような朗読ができるのは、被爆者たちの体験をよく想像して、自分のものにしようとする姿勢があるからだと思います。会員の中には実際に被爆した人はいませんが、原爆資料館で見た溶けたガラスから「このガラスが溶けるくらいの熱さは、どれほどのものだろう」「ちょっとやけどしただけでも熱いのに、その熱さに自分だったら耐えられるだろうか」など具体的に想像し、自分の中に落とし込んでいくそうです。これは被爆者や戦争体験者の記憶をつないでいくときに大切なことだと考えます。私もジュニアライターとして、被爆者の体験を具体的に自分に置き換えてみて、彼らの苦しみを理解し、そして伝えていきたいと思います。
私たちもフラワーフェスティバルで原爆詩を朗読します。詩の背景にある一人一人の体験や思い、人生について考えを巡らせながら私たちなりに表現できるように頑張りたいです。(高3藤原花凛)
「ひろしま音読の会」は、被爆者の体験記や原爆詩、文学作品を朗読しています。相手に伝わるよう「感情をこめすぎないよう淡々と朗読できるまで練習を重ねる」と、代表の佐藤千佳砂さんは話していました。心臓が握りつぶされるような悲しみを、想像力を使いながら咀嚼(そしゃく)していくそうです。被爆者が高齢化する中、課題となっている記憶の継承において朗読が果たす役割は大きいと思いました。(高3森美涼)