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連載・特集

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <4> 原発推進者の無念

重大事故 謙虚さ自問

 「原子力ムラ」に身を置いていた人物が、東京電力福島第1原発事故で被害者になった。北村俊郎さん(76)。原発から約7キロの福島県富岡町の自宅は帰還困難区域に組み込まれた。

 事故発生から10年を迎えた11日。避難先の同県須賀川市で購入した中古の住宅でパソコンを開き、原子力業界の友人や知人ら約500人に3編のエッセーを送信した。その一つの表題は「原発は安全ではない」。安全と危険の定義を禅問答のように繰り返した上で、こんなくだりを続けた。

「1万年に1回」

 「最後の最後まで気を緩めず心配しながら運転する謙虚さが大切である。福島原発事故についてはこれができていなかった」

 40年余り、原発のために働いた。日本原電の事務方として茨城、福井両県で立地交渉などに当たった。住民説明会で重大事故の確率を問われると「1万年に1回あるか、ないか」と答えていた。

 それが福島で起きた。当時は電力会社や原発メーカーでつくる社団法人日本原子力産業協会(東京)の参事だった。50代でついのすみかを富岡町に建て、JR常磐線で通勤していた。

 政府も、われわれ原子力業者も地震・津波・原発事故の三重苦が起こりうることから目を背けていた―。避難所生活の中でエッセーを書き連ねた。11年秋には新書「原発推進者の無念」(平凡社)として出版。今も書き続け、その数は1500編を超えた。

国民の目厳しく

 無念を口にしても、反原発に転じたわけではない。「太陽光発電は不安定で必要な電力量を賄えない。水素やアンモニアによる発電は有望だがインフラが整っていない。だからこの国にはまだ原発が要る」。もちろん施設の安全確保や情報開示の徹底が大前提だが、国民の目はなお厳しい。

 事故10年に合わせた日本世論調査会の全国調査で、原発を将来的にゼロにするべきだと答えた人は68%、即時ゼロは8%だった。4人に3人は脱原発を志向している。

 「浜通りの50人」はどうか。中国新聞社が被災前の住所に郵送したアンケートや聞き取りに17人が答えた。10年の間に時の政権が掲げた「脱原発」「脱原発依存」が進まないことに「不満」は7人、「憤りを感じる」は5人。「その他」の1人は北村さんだ。

 「仕方がない」は4人いた。その理由を「今は原発なしでは難しい。ただし代替のエネルギーを早急につくらなければ」と答えたのは新潟県上越市の建設会社で働く渡辺直さん(24)。4月から、中学2年まで過ごした福島県浪江町に戻る。帰郷を促した人物は、被災地で「記憶の風化」にあらがっている。(下久保聖司)

(2021年3月14日朝刊掲載)

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <1> 被曝の影響

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <2> 古里は遠く

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <3> 飯舘村の挑戦

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <5> 風化にあらがう

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