×

連載・特集

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <5> 風化にあらがう

荒野の町 期待は若い力

 この春、1人の若者が福島県浪江町に戻ってくる。渡辺直(なお)さん(24)。東京電力福島第1原発事故で全町避難の指示が出た時は中学2年生。家族とともに同県二本松市に逃れた。県内の大学を卒業後、新潟県の建設会社に就職。このたび浪江町で新たな職を見つけ、10年ぶりに帰郷する。その胸にあるのは「古里の役に立ちたい」との思いだ。

 Uターンを促したのは、町社会福祉協議会で事務局長を務める鈴木幸治さん(68)。渡辺さんの父は町職員時代の同僚だった。「素直で優しい少年だった。彼のような若い力がこれからの浪江には要る」。実感を込めて言う。

漁業者ら戻らず

 町の風景はすっかり変わった。事故前は2万1千人が暮らしたが、今は約1600人にとどまる。2017年に一部地域を除いて町への避難指示が解除されても、住民帰還は思うように進まない。高齢化率は約38%。10ポイント以上高くなった。

 漁業を営んでいた鈴木さんが暮らしたのは沿岸部の請戸(うけど)地区。今は荒野が広がる。「この辺にわが家があったはずだが、整地され建物の基礎もなくなってしまった」。約1600人の集落は津波に襲われ、150人以上が死亡・行方不明となった。

 原発の北約6キロ。海風のおかげで放射性降下物は町内の他地域と比べて少なかった。津波被害を受けた請戸漁港は17年春に復旧した。しかし漁業者らは北隣の同県南相馬市などから通う。

 「避難指示が長すぎた。誰もが帰還の意欲をそがれた」。そう言う鈴木さんは漁業を離れ、宮城県境の福島県新地町に新居を建てた。浪江町内にも家を借り、町社協に通っている。

廃校舎を公開へ

 以前の町の姿を取り戻すのは難しいとしても、記録や記憶をどう引き継ぐか。県や被災自治体は「震災遺構」の保存に取り組む。

 海から約300メートル離れた場所に立つ旧請戸小。津波は2階の床まで押し寄せ、机や椅子、給食調理場の設備などをなぎ倒した。下校していた1年生11人を除く児童82人と教職員14人は1・5キロ離れた高台に逃れ、全員無事だった。廃校舎では年内の公開に向けて工事が進められている。

 1998年の校舎新築時にPTA会長を務めたのが鈴木さんだ。何を展示し、どんなメッセージを発するのか関心を寄せる。「宮城や岩手に比べ、福島の復興がなぜ遅れているのか。請戸に人が戻らないのはなぜか。原発事故についてしっかり伝えていかなければ」

 鈴木さんには「まだ10年」なのである。(下久保聖司)=おわり

(2021年3月16日朝刊掲載)

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <1> 被曝の影響

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <2> 古里は遠く

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <3> 飯舘村の挑戦

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <4> 原発推進者の無念

年別アーカイブ