×

連載・特集

『想』 平岡敬(ひらおか・たかし) 生者の責務 前編

 核拡散防止条約再検討会議が失敗に終わり、核大国が核兵器使用をほのめかすニュースが流れるなか、思い起こすのは70年前の広島の光景と死者の無念の思いである。

 すし詰めの引き揚げ列車から広島駅に降り立った時、私の目の前には変わり果てた焦土が広がっていた。9月も終わりに近く、電車通りはおおかた片付いていたものの、市内はがれきが散乱したままである。

 私がかつて通った、爆心地から約400メートルの本川小学校は、焼けただれたコンクリートの外壁だけのがらんどうだった。正門前にあった吉井鉄工所、店の奥の中庭に金魚の泳ぐ小さな池のあった福田漆器店、今井理髪店など、よく遊びに行った級友たちの家は跡形もなかった。

 ちまたには頭や腕に包帯を巻いた人や髪が抜けた頭を布で隠した女性が行き交っていた。旧知の人に出会うと「ピカのときはどうしとったんね」と尋ねることから、会話が始まった。誰もが肉親、友人、知人を失った悲しみを抱いていた。

 原爆は人を殺すために開発された。1945年末までに広島では14万人が死亡、さらに戦争が終わってからも70年間、被爆者は殺され続けている。

 「核の傘」に頼る安倍晋三首相は、ことし4月末の米国議会での演説で対米従属を誓い、「和解」を強調した。この演説を、広島の死者たちは何と聞いただろうか。私と同様に、釈然としない思いを強めたのではないか。

 平和記念公園の原爆慰霊碑(52年設置)には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。当時、誰が過ちを犯したのか、主語は何かという疑問が市民から起こり、大きな論争となった。結局、広島の悲劇は、核兵器を開発し使用した人類の罪だ、との解釈がとられ、現在に至っている。つまり、原爆攻撃の責任は、人類の過ちに拡散されてしまった。

(2015年8月6日中国新聞セレクト掲載)

『想』 平岡敬(ひらおか・たかし) 生者の責務 後編

年別アーカイブ