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坪井直さん死去 広島で被爆 核廃絶へ力 96歳 日本被団協代表委員

 国内外に被爆体験を伝え、核兵器廃絶と被爆者援護の活動に尽力した日本被団協代表委員で広島県被団協理事長の坪井直(つぼい・すなお)さんが24日午前10時35分、貧血による不整脈のため広島市内の病院で死去した。県被団協が27日、発表した。96歳。呉市音戸町出身。自宅は広島市西区。通夜と葬儀は25、26日に、故人の遺志で家族のみが参列して執り行われた。(水川恭輔)

 米軍が広島に原爆を投下した1945年8月6日、広島工業専門学校(現広島大工学部)の3年だった坪井さんは、下宿先に荷物を取りに帰ろうと広島市富士見町(現中区)を歩いていた時に被爆。爆心地から約1・2キロで、ほぼ全身にやけどを負った。

 御幸橋西詰め(中区)付近に避難し、小石で地面に「坪井はここに死す」と書いたという。広島湾沖の似島(南区)の野戦病院に収容された後、母親が見つけて呉市音戸町に連れ帰ったが、同年9月25日まで意識が戻らなかった。

 その後、中学校の数学教員として教壇へ。生徒に被爆体験を語り「ピカドン先生」とも呼ばれた。一方で後障害の再生不良性貧血症やがんで入退院を繰り返し、危篤状態に3回陥りながらも奇跡的に回復した。

 86年3月に定年退職後、被爆者運動に関わるようになった。94年に県被団協の事務局長となり、2004年に理事長に就任。日本被団協では00年から代表委員を務めた。「ヒロシマの顔」として、10年に核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて訪れた米ニューヨークなど国内外で被爆体験を語った。

 16年に現職の米大統領として初めてオバマ氏が広島市を訪れた際は平和記念公園(中区)に招かれ、オバマ氏の手を握りながら「核兵器をゼロにするため、ともに頑張りましょう」と語り掛けた。

 同年、核兵器を禁止し廃絶する条約の締結を各国に迫るために始まった「ヒバクシャ国際署名」では呼び掛け人の一人を務め、自らも街頭に立った。署名は国連に届けられ、17年7月の核兵器禁止条約制定に向けた機運を高めた。ここ数年は高齢や病気のため、行事への参加は見送っていた。

(2021年10月28日朝刊掲載)

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