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被爆朝鮮人 身元なお不明 資料や証言貴重 伝承を 山口「ゆだ苑」など遺骨発掘から40年

 広島市で被爆した朝鮮人2人の遺骨が、宇部市の共同墓地で発掘されて21日で40年。当時の関係者は少なくなり、発掘時を記した資料も多くはない。遺骨の身元が今も分からない中、朝鮮半島出身者の原爆被害に関する資料の重要さを改めて痛感した。(山下美波)

 発掘に携わった関係者の半数は既に亡くなり、当時を知る人は少ない。広島県朝鮮人被爆者協議会の金鎮湖(キムジノ)会長(75)と、在日本大韓民国民団(民団)山口県地方本部の徐鶴奎(ソハッキュウ)団長(74)も、今回の取材を通じて初めて2人の遺骨の存在を知った。40年間で組織の世代交代もあり、関連する資料は見つからなかった。

 胎内被爆者の金会長は「同じ被爆者として心苦しい。日本政府の謝罪がないまま亡くなった人を思うとやるせない」と声を落とした。徐団長は、伯父が戦時中に北海道の飛行場で亡くなり、遺骨が不明。「日本各地で朝鮮半島の出身者が犠牲になった。行政が率先して遺族へ遺骨を返してほしい」と望んでいた。

 そもそも戦後、日本政府は在外被爆者に対し、原爆被害の実態解明につながる被爆者健康手帳の申請に後ろ向きな姿勢を取り続けた。国交のない在朝被爆者は今も被爆者援護法の枠外に置かれたままだ。日本政府の不作為もあって被害状況に不明な点が多いだけに、朝鮮半島出身者の被爆者に関する資料は貴重になる。

 発掘に携わった県原爆被爆者支援センターゆだ苑(山口市元町)の元職員岡千津子さん(72)は「身元不明の2人の遺骨の存在を知ることが、日本の戦前から戦後史を考えることにつながる」と話す。当時を知る関係者が少なくなった今、証言や資料を伝え残すことが一層求められている。

(2021年12月19日朝刊掲載)

異国で被爆 悼み続け 遺骨発掘した山口の「ゆだ苑」 元職員岡さん

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