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被爆者認定に喜び 疾病要件で苦渋も 「黒い雨」救済 新指針開始

 広島原爆の「黒い雨」の被害者救済で、国の新たな被爆者認定指針の運用が始まった1日、援護の網から漏れていた黒い雨体験者に被爆者健康手帳が届き始めた。雨を浴びたあの日から間もなく77年。ようやく公式に被爆者と認められた人たちに喜びの声が広がった。一方、国が特定の病気の発症を認定要件として残したため、援護の対象から外れる人も出ている。

 「うれしい。認定は思いもしなかった」。佐伯郡水内村(現広島市佐伯区湯来町)で黒い雨を浴びた角舛五男さん(84)=安佐北区=は、手帳を手に喜びを口にした。当時は7歳。友人たちと川に入った際に降りだした黒い雨を浴びた。

 30代で糖尿病にかかり、心臓も患った。「雨が悪かったのか」と不安はあったが、国の援護対象区域外のため手帳は申請しなかった。区域外で雨に遭った原告全員を被爆者と認めた昨年7月の広島高裁判決を機に申請に踏み切り、手にした手帳。「雨に遭ったのは事実なのだから」と認定をかみしめた。

 判決は病気の有無を問わずに原告全員を被爆者と認めたが、国は新指針で、がんや白内障など11疾病を認定要件とした。

 「既に亡くなった人も、疾病要件で認定から外れる人もいる。手放しでは喜べない」。7歳のときに現在の安佐南区上安で黒い雨を浴び、援護区域の拡大を訴えてきた曽里サダ子さん(83)=安佐南区=は複雑な表情を見せる。自身は申請は終え、審査結果を待つ。

 国民学校1年だった曽里さんは同級生と下校中、白いブラウスが黒くなるほどの雨を浴びた。40代から貧血や高血圧に苦しみ、がんの手術もした。手帳申請を区役所に相談したが、雨を浴びた当時の自宅は、わずか数十メートルの差で援護対象区域外だった。

 一帯の住民は2002年に「上安・相田地区黒い雨の会」を結成し、区域拡大を訴えた。曽里さんも当初から中心的な役割を担ったが、国のかたくなな姿勢に会員は疲弊。役員の病死も相次ぎ、15年に解散した。

 「もう諦め、口にも出さないようにしていた」。そこに届いた原告勝訴の知らせ。地域の元会員たちに声を掛けて勉強会を開き、約70人の申請につなげた。それでも疾病要件に当てはまらず、断念せざるを得なかった仲間もいた。

 「私たちは何より浴びた事実を認めてほしかった。体験者を病気で区切らず、みんなに手帳を交付してほしい」と願った。(明知隼二)

(2022年4月2日朝刊掲載)

「黒い雨」の救済 新指針運用開始 広島県・市 初日は44人に手帳

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