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ラーム・エマニュエル駐日米大使が原爆の子の像の前で受けた囲み取材でのやりとり【全文】(2022年3月26日)

Q:大使は早い時期に被爆地訪問の意向を表明しました。なぜ、広島を訪れたいと強く思われたのですか。今日、原爆資料館と原爆ドームを見学して感じましたか。

A:大使として、またラーム・エマニュエル個人として答えたい。どちらの回答も非常に似通っている部分はあるのですが。

 医師である父ベンジャミン・エマニュエルと母マーシャ・エマニュエルの息子として、彼らが私に教えてくれたことや価値観からして、大使としての在任中の早い時期に広島に足を運ばないという選択肢はなかったでしょう。長崎にも行かないと、彼らの息子としての私の責任は終わらないと思っています。正直なところ、私はここに戻ってくる必要があると感じています。資料館が伝えようとしていることをたった1回の訪問で十分に吸収することはできないと思う。

 もちろん米国の大使としても、資料館を訪問することは重要でした。皆さんはすでに知っているかもしれませんが、私は岸田首相に、私たちが初めて一緒に訪問する地は広島にしてほしいとお願いしました。予定していた訪問はキャンセルになりましたが、その次に岸田首相が帰省する際、私を広島に招いて約束を果たしてくださった。

 今回の訪問は、戦争による破壊の実態を白日の下にさらす機会になっています。同時に、日本と米国が同盟国というだけでなく友人同士としてどんな可能性を持っているのかも明らかにしています。それは、私たちが耳を傾けて考えを聞き合い、力を合わせる決意をした時に、ビジネス上の利害や関心にとどまらない、私たちが共に信じ、深く関心を寄せるもの。つまり、私たちの子供たちの未来という可能性です。

Q:読売新聞です。大使は、米大統領として初めて被爆地広島を訪問されたオバマ大統領のホワイトハウス首席補佐官を務め、バイデン大統領とも深い信頼関係にあると聞いています。先日、広島市長と長崎市長がバイデン大統領に被爆地訪問を要請しましたが、今日広島で学んだことを踏まえて、バイデン大統領にそう促すことは考えていますか。

A:大統領を代弁するつもりはないが、大統領の友人としてここで言うならば、バイデン大統領が日本に来る際は、両市は訪問できなくてもどちらかを訪問したいと彼は思うでしょう。

 もう一つ。私は広島市長と長崎市長から、平和首長会議の組織を拡大するよう要請を受けました。米国にはすでに加盟都市がいくつもあるが、米国の市長がもっとこの組織に加盟するよう働きかけてほしいとのことです。ちなみに、シカゴは平和首長会議の加盟都市。私は全米市長会議と協力して、米国のあらゆる規模の都市の市長たちに、平和首長会議に加盟するとともに、世界平和を実現するために実際に行動することを促すと伝えました。

Q:大使は今日、広島の犠牲者に敬意を表しながら、ウクライナ難民の窮状についても強い意識を持っていたと思います。特に、移民の孫としてウクライナ人を助ける道徳的義務について話されていますが、日本政府がすでに行っていることに加えて、ウクライナ人、特に難民の支援にさらに何を期待されますか。もう一つ、岸田首相と話した時、少し声を詰まらせていたようですが、なぜでしょうか。

A:皆さんも初めての広島訪問の時は、きっと言葉を詰まらせたことでしょう。ご質問の件ですが、今朝何かで読んだポーランドのこと、たしかワルシャワにいた日本人留学生の話を広島市長にしたところです。ポーランドに留学中で、ウクライナ難民に自分のアパートを開放したそうです。質問は、この恐ろしく、無法極まりなく、誰も望んでいない、不必要な戦争の犠牲となったウクライナの人々に、日本政府だけでなく国民全体が懐を開いて手を貸すために何ができるのか、ということについてだったと思います。

 私は、第二次世界大戦、実際には20世紀全体の歴史を知るユダヤ人として傍観することはできず、米国大使館をウクライナ難民のために開放しました。第二次世界大戦以来最悪の人道的危機にある中、これ以上ない苦境に置かれた難民、個人、家族に温かい手を差し伸べようとせずに、空き部屋がいくつもある家にただ座っていることはできない、と思ったのです。

 次の質問についてですが、これは皆さんも理解していると思います。感情的になるつもりはありませんでしたが、話し始めた時に、自分の感情を表す適切な言葉を探しても、なかなか思い浮かばなかったのです。

 資料館にある写真の、大人もそうですが特に子どもたちの目が自分を見ているようでした。それが残響のように残り、ずっと私の脳裏から離れないのです。止めどなくあふれてくる感情がありました。率直に言って、資料館を歩いて感情的にならない人は冷酷な心の持ち主なのかもしれません。 さて、ひとつ試してみたいことがあります。皆さんは学生記者ですか。

学生メディアです。はい、そうです。

 エマニュエル大使:さて、長い間政治の世界にいて、このような質問をするのは危険なのは承知しています。しかし、私はサイコロを振って、あなた方の一人から質問を受けましょう。

Q:佐々木禎子さんという12歳の少女の話を知っていますか?

A: 博物館を訪れる前に読んだ本と、館内で説明された内容で知っている。具体的に何か聞きたいことはありますか。

Q:佐々木禎子さんの話を聞いて、どのように感じましたか?

A:とてもいい質問ですね。私たちは今、この折り鶴と銅像の近くに立って話していますが、禎子さんの物語は私たち全員、特に学生にとって教訓となるものです。

 ここに、重い病気にかかった一人の少女がいました。彼女のたった一つの行動が、平和への思いを表すための世界的なうねりを生み出した。それが、ここ広島で起こったのです。

 この物語は私たち全員へのいましめであると同時に、あなた自身へのいましめでもあります。言い換えると、世の中を変えるために、あなたたちが大人になるまで待つ必要はないのだ、ということです。

 あそこにいるジャーナリストはワシントン・ポストの記者です。彼女のところでインターンシップをしたいのなら私が推薦状を書いてもいいよ。

 それでは皆さん、雨をしのぎましょう。

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