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[ヒロシマの空白 証しを残す] 被爆直後「原本」19枚 陸軍で被害調査 川原四儀さん撮影 写真帳 資料館寄贈へ

 旧陸軍の元写真班員で、被爆直後の広島の代表的な撮影者の一人、川原四儀(よつぎ)さん(1972年に49歳で死去)の遺品の写真帳「原子爆弾に依(よ)る広島市被害状況写真」が、近く原爆資料館(広島市中区)に寄贈される。ネガを軍の命令で廃棄したという川原さんが、自ら撮った写真のオリジナルプリントとして手元に残した19枚を含む23枚が収められている。原爆の惨禍を今に鮮明に伝える貴重な資料だ。

 川原さんは戦時中、広島市宇品町(現南区)にあった陸軍船舶司令部の写真班に所属。被爆直後、軍の調査で市内一円を回り、被害状況を撮った。写真帳は戦後早い時期に作られたという。手作りで写真を紙に張り、撮影場所を記している。

 写真帳の19枚は、負傷者であふれる本川沿いの臨時救護所や福屋百貨店周辺の被害、全焼した路面電車が残る紙屋町(現中区)交差点など多岐にわたる。多くは米軍の原爆投下から3日後の45年8月9日の撮影とみられ、現存する原爆写真の中でも早い。写真帳には、班の同僚だった故尾糠政美さんが負傷者を撮った4枚も収められている。

 川原さんと尾糠さんは被爆から23年後の68年、市役所でこの写真帳を「原本」として初公開し、原爆写真の撮影者として名乗り出た。その際、ネガは終戦と同時に軍の命令で焼いたり、土に埋めたりして処分したと明かした。ただ、プリントは班員の手元に残そうと、この写真帳を作ったという。

 川原さんは写真帳の公開から4年後に亡くなった。その後は妻の縫子さんが保管し、本紙は2005年に現存していることを報じた。縫子さんが10年に89歳で亡くなった後に受け継いだ長男の祐一さん(74)=南区=は今回、写真帳を後世へ保存するために、資料館に託すことを決めた。(編集委員・水川恭輔)

(2022年4月24日朝刊掲載)

[ヒロシマの空白 証しを残す 被害調査写真] 救護所 あふれる苦痛克明 川原四儀さん遺品 資料館に寄贈へ

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