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[ヒロシマの空白 証しを残す] 被爆翌年 焦土の卒塔婆 喫茶店を経営 被爆死家族9人の名前記す

原爆慰霊碑付近で撮影

 米軍が広島市に投下した原爆の爆心地に近く、現在は平和記念公園(中区)の原爆慰霊碑がある辺りで喫茶店を営んでいた家族を一周忌に弔う卒塔婆の写真が残っていた。店の跡付近で撮影されたとみられ、被爆死した夫婦や子どもたち計9人の名前が書かれている。多くの市民や各国の首脳が訪れる追悼の場の悲惨な被害を伝える貴重な一枚だ。(編集委員・水川恭輔)

 写真は、被爆翌年の1946年から広島県広島復興事務所で遺骨の改葬などに関わった故堀部道夫さんの遺品の中から見つかった。被爆後間もない市民の慰霊の営みを収めた写真は少なく、原爆資料館(同)が一昨年に遺族から寄贈を受けた。卒塔婆に一周忌と明記されていた一方で、名前が書かれた人や撮影場所に関する情報はなかった。

 そのため、記者が名前の一致する家族を捜し、遺族にも取材。名前があるのは繁華街だった旧中島本町に住んでいた藤本周三さんの家族と分かった。原爆投下で藤本さんと妊娠中の妻、子ども3人が被爆死。母、姉、妹も犠牲となった。

 家族は被爆前、現在の慰霊碑付近で喫茶店アキヅキを経営。県外にいた兄が店の焼け跡に残っていた遺骨を拾ったが、誰の遺骨かは分からなかった。被爆の翌年、家族の遺骨が一人もはっきりとしない中、店の跡付近に遺族で卒塔婆を立てて供養をしたとみられる。

 市は戦後、原爆で壊滅した同町を含む一帯に平和記念公園を整備。原爆死没者名簿を納める原爆慰霊碑は52年に建立された。市は来年市内で開かれる先進7カ国首脳会議(G7サミット)での慰霊碑への献花を提案している。

(2022年6月20日朝刊掲載)

[ヒロシマの空白 証しを残す] 9人の名前 願い重ね 本当にむごい。繰り返さないで

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