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[ヒロシマの空白 証しを残す] 被爆医師の原稿・手記寄贈 大田萩枝さん 原爆投下当日から救護活動 40点 広島大文書館へ

 米軍による広島への原爆投下当日から救護活動に当たった医師、大田萩枝さん(2018年に96歳で死去)が残した証言原稿や未公開の手記など資料40点が広島大文書館(東広島市)に寄贈された。大田さんは被爆2カ月後に広島市内の救護所で撮られた写真に写っていることで知られ、国際会議で被爆医師を代表して核兵器廃絶を訴えた。被爆者救護に向き合った広島の医師の思いを刻んでいる。

 大田さんは広島県立病院に勤める23歳の医師だった1945年8月6日、爆心地から約2・2キロの自宅で被爆。嘔吐(おうと)や頭痛に襲われながらも、被爆者の治療に取り組んだ。

 同10月、旧文部省が編成した「原子爆弾災害調査研究特別委員会」の記録映画製作班に同行した東京の写真家、菊池俊吉さん(90年に74歳で死去)が、爆心地から460メートルの袋町国民学校(現袋町小)にあった救護所を撮影。治療する大田さんが写っていた。85年にノーベル平和賞を受けた核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が89年に市内で開いた世界大会で、大田さんは広島の被爆医師の代表として体験を証言した。

 寄贈された資料には、大田さんが同大会で証言した際の手書きの原稿が含まれる。大田さんは「原子爆弾の惨禍に、我々医師達は全くなすすべもなく、凄惨(せいさん)な負傷者の前に、立ちつくすのみでありました」と核兵器使用の非人道性を強調。「心よりの願いは核兵器を廃絶し、真の平和を実現する事であります」と訴えた。

 79年に便箋6枚に書いた手記もあり、「原爆症ですっかり健康状態はくるい」などと戦後に体調がすぐれなかったことを記す。被爆者の手記を集めている国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)にも所蔵がない体験記もある。

 広島大原爆放射線医科学研究所(南区)の久保田明子助教は「ロシアのウクライナ侵攻で核兵器の問題がクローズアップされる中、今も核兵器廃絶を目指して活動するIPPNWに大田さんが託した思いを原本から知ることができる。知られていない文書もあり、貴重な資料だ」と指摘する。

 資料は、広島大文書館が大田さんのめいの藤嶋久子さん(80)=千葉市=から寄贈を受けた。同館は近く資料の目録を公開する方針。(編集委員・水川恭輔)

(2022年7月14日朝刊掲載)

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