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連載・特集

NPT 再検討会議に向けて <上> 被爆者の声「今こそ」

露の侵攻で逆風

 核軍縮の道筋を探る核拡散防止条約(NPT)再検討会議が8月1~26日、7年ぶりに米ニューヨークの国連本部で開かれる。広島の被爆者たちは現地で悲願とする核兵器廃絶を訴え、「核兵器のない世界」の実現をライフワークに掲げる岸田文雄首相(広島1区)は日本の首脳として初めて出席する。ロシアによるウクライナ侵攻を背景に、核軍縮に逆風が吹く中、どう会議に臨むのか。被爆者や首相たちの思いを追った。

 「核兵器廃絶には大きな壁がある。乗り越えるには被爆者の役割が重要だ」。日本被団協事務局次長の浜住治郎さん(76)=東京=はそう考えている。母のおなかの中で広島原爆に遭った胎内被爆者。原爆に父を奪われ、癒えることのない苦しみと闘い続ける人生を強いられてきた。核兵器を世界からなくしたい。その一心でNPT再検討会議が開かれる米ニューヨークに向かう。

続く放射線不安

 浜住さんの母は被爆当時、妊娠3カ月。矢賀町(現広島市東区)の自宅から出勤したまま戻らない夫を捜しに、1945年8月7、8日、爆心地から約500メートルの研屋町(現中区)の職場に向かった。夫の姿はなく、見つかったのは鍵束や財布、ベルトの金具のみ。翌年2月に生まれた浜住さんを含む7人の子は、父のいない生活を送ることになった。

 浜住さんに、あの日の記憶はない。一方、胎内被爆者として放射線被害の不安からずっと逃れられずにきた。「原爆は74年たっても被爆者の体、暮らし、心に被害を及ぼしている」。再検討会議に向けた2019年の準備委員会でスピーチし、核兵器の非人道性を強調した。今回の会議でも、会場の国連本部での原爆展などで苦悩を訴える。

 70年に発効し、核軍縮・不拡散体制の「礎石」とされるNPT。原則5年に1度の再検討会議には、被爆者や被爆地の市長たちが参加し、核兵器保有国を含む加盟国に核軍縮の具体的な進展を繰り返し求めてきた。前回15年の会議では、広島市の松井一実市長が核兵器について「非人道兵器の極みで絶対悪」と強調した。

 一方、NPTは核兵器保有を米ロ英仏中には認める。95年の延長・再検討会議でこの枠組みの無期限延長を決めた際、「核兵器保有を永久化しかねない」などと被爆地は反対の声を上げた。

 93、94年に広島市長として平和記念式典で読み上げた平和宣言で無期限延長に異を唱えた平岡敬さん(94)=西区=は「NPTは核不拡散で一定の役割を果たしてきたが、核軍縮は進んでいない。被爆地からは核廃絶を言い続けるしかない」と指摘する。

体制への懸念も

 15年の再検討会議は、核兵器の廃絶を急ぎたい非保有国と、段階的な核軍縮を主張する保有国が対立。中東の非核化を巡っても加盟国の溝は深く、最終文書を採択できずに閉幕した。

 さらに今回の再検討会議には、ロシアによるウクライナ侵攻という大きな亀裂が横たわる。ウクライナ情勢を巡っては保有国間だけでなく非保有国間でも受け止めが割れている。最終文書に合意できず、2回連続で会議が決裂すればNPT体制そのものが揺らぎ、核軍縮はもちろん、その先にある廃絶の道も遠ざかる。

 現地のイベントなどに参加する広島県被団協の佐久間邦彦理事長(77)は「人生を通じて思い知らされた核兵器の実態と、過ちを繰り返してはならないとの被爆者の叫びを伝えたい」と力を込める。現地入りを控え浜住さんも言う。「戦争があるから核兵器が使われる。今こそ、ノーモアウォー、ノーモアヒバクシャ」。被爆77年となる8月、原爆投下国であり核兵器保有国の米国で、被爆者たちが再び声を上げる。(小林可奈)

(2022年7月28日朝刊掲載)

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