[ヒロシマの空白 街並み再現] 爆心直下 営み伝えるげた 旧細工町で購入 松本さん保存
22年8月3日
店名シール付き 貴重
「爆心地」として知られる島病院(現島内科医院、広島市中区)の南側にあった旧細工町の履物店で購入したげたを、松本(旧姓喜代吉(きよよし))幸子さん(97)=南区=が今も持っている。げた底の「○米」「廣島(ひろしま) 細工町 東京蛎殻(かきがら)町 松坂屋特製」と記された赤いシールは、色も鮮やかだ。米軍により原爆が投下される前の繁華街の雰囲気を伝える。
本通りの「丸米履物」で、爆心直下と周辺を「再現」しようと中国新聞が2000年に作成した「街並み復元図」にもある。げたは女学校を卒業後の18歳ごろ母親に買ってもらった。「こぢんまりとした店の棚に、履物がずらりと並んでいた。何足か試し履きした」。ピンクの鼻緒と、鹿(か)の子(こ)絞りの爪皮(つまかわ)(雨カバー)が愛らしい。
松本さんの生家は、店から200メートルほど北東の旧猿楽町。市民生活の耐乏が強まった戦争中も、げたを履いて本通りなどを歩いた。
一帯は原爆で壊滅した。爆心直下の住民らの被爆死の状況を掘り起こした98~2000年の本紙連載「遺影は語る」によると、「丸米」を営んでいた筒井唯一さんら家族4人は遺骨も不明のままだ。松本さんは、終戦の1年ほど前に二葉の里(現東区)へ引っ越していた。先月、長女の岡悦子さん(73)=中区=が押し入れを整理中、げたを見つけた。
原爆資料館は、年内に細工町と猿楽町をテーマに企画展を開く予定。落葉裕信主任学芸員は「所有者の記憶が鮮明で、爆心直下の当時をうかがい知ることができる大変貴重な資料。色鮮やかな保存状態にも驚く」と話す。(湯浅梨奈)
(2022年8月3日朝刊掲載)
[ヒロシマの空白 街並み再現] 旧猿楽町生まれ松本さん 青春の地 記憶は今も