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[ヒロシマの空白 証しを残す] 繁華街惨状 伝える7枚 被爆間もない9月までのカットも

市民が撮影 貴重な資料

 1945年8月6日、米軍が投下した原爆で壊滅した広島市中心部の繁華街などの惨状を収めた写真7枚が、広島市西区の被爆者の下田博章さん(95)から本紙に寄せられた。亡き叔父から生前にもらい受けたという。被爆から間もない45年末までに撮られた原爆写真の中でも比較的早い9月までの撮影とみられるカットが含まれており、原爆資料館(中区)は被爆の実態を知る上で貴重な資料だとしている。下田さんは写真を同館に寄贈する。(編集委員・水川恭輔)

 7枚の写真のうちの5枚は、戦前から繁華街だった八丁堀(現中区)周辺の様子を記録。爆心地から約700メートルにあった百貨店の福屋新館(現八丁堀本店)周辺の焼け跡や、同館の近くで全焼した中国新聞社、呉服問屋の小田政商店のあめのように曲がった鉄骨などを収めている。

 下田さんらによると、写真は現在の安佐北区出身の叔父中野忠男さん(92年に79歳で死去)から約40年前にもらい受け、自宅で保管してきた。撮影者も原爆投下当時32歳だった中野さんとみられる。下田さんは、被爆直後の写真などから広島の惨禍をたどる本紙連載「ヒロシマの空白 証しを残す」を読んで「何かの役に立てば」と思い立ち、家族を通じて情報を寄せた。

 写真を検証した原爆資料館によると、7枚はこれまで未確認のカット。また、中国新聞社の新館の写真について、壊れた窓に雨風を防ぐ板がまだ付けられていないことに注目。これまでに確認されている、9月末に撮られたとされる写真では新館4階に板が見えるため、それよりも前の撮影と考えられるという。撮影地点や街の状況から、ほかの写真も同時期の撮影の可能性が高いとみている。

 被爆後の混乱や物資不足のため、市民が撮った原爆写真は撮影者や枚数が限られている。同館は「フィルムの入手が困難だった時に市民が残した写真記録は被爆の実態を解明する上で大変貴重な資料だ。今回の写真は撮影時期が比較的早い可能性が高く、その点でも重要だ」としている。

(2022年8月6日朝刊掲載)

[ヒロシマの空白 証しを残す] 惨禍の街 一面がれき

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