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連載・特集

つなぐ 最期の言葉 原爆の犠牲になった10代 <下> 同世代の思い 受け止めた

 原爆の犠牲になった子どもたちが残した「最期の言葉」を今夏、広島市南区の仁保中の2年生9人が校内の平和学習会で同学年の生徒を前に朗読した。わが子を奪われた父母たちが手記などで伝えてきた言葉。77年前に13歳前後で逝った同世代の「声」をどう受け止め、自ら語り伝えることで何を感じたのだろう。5人に代表してもらい、それぞれの思いを聞いた。(林淳一郎)

武雄藍(らん)さん(14)

遠い昔のように感じず

 私と同じ年くらいの子どもたちの言葉だから、77年も前のことなのに身近というか、遠い昔のことのように感じませんでした。実際にあったことなんだと。だけど、自分の死を覚悟するというのは、どんな気持ちだったんだろう。今の私には考えられません。

 こういう最期の言葉を話さないといけなくなるような戦争を何でしてしまうのか、すごく疑問です。命を奪ってしまうのは分かっているのに。今、やりたいことができるのはとても大切なのかもしれません。これまでの平和学習や今回の朗読で学んだこと、気付いたことを自分なりに伝えていけたらと思います。

山本尚毅さん(13)

当時のことを知りたい

 朗読して、いろいろ想像しました。最期の言葉というのは、その人の思いや性格がはっきり出ているんじゃないかって。どんな状況だったんだろう、つらかったんだろうな…。そう思いながら、もっと当時のことが知りたくなりました。

 これまでに、被爆証言を原爆資料館(中区)で聞いたことがあります。でも今回は自分が人に伝える立場になった。言葉の重みというか、その大切さをすごく感じました。複雑な気持ちもあります。戦争って加害者にも家族がいて、戦って守らないといけない。だけど命を奪うのは罪といえば罪だから。難しいけど、考えていきたいことです。

三村琉仁(りゅうじん)さん(14)

「水が欲しい」熱さ想像

 「水が欲しい」って、すごく体が熱かったんだろうな。自分だったら…と考えました。被爆証言を聞くのも大切だけど、自分が朗読で伝えて、とてもリアルに感じたんです。やっぱり原爆も戦争も怖い。その人の未来とか可能性を奪ってしまうんだから。

 今、ロシアの攻撃でウクライナの学校や病院が破壊されている映像をテレビで見ます。戦争は絶対よくないはずなのに、なぜそうなるんだろう。でも、広島の原爆のことをあまり知らない人もいるみたいです。今回の朗読もそうだけど、平和学習をずっとやってきた僕たちがしっかり伝えていけたらと思います。

山口凛さん(14)

悲しみやつらさ 叫びも

 悲しみとか、つらさとか…。最期の言葉にはいろんなものが詰まっていると感じました。叫ぶような言葉もあって。「お父さん、お母さん」というひと言も朗読すると、どんな気持ちで話したんだろうって考えさせられます。

 小学校の低学年の頃は正直、どうして平和学習をしなきゃいけないのかなって思っていました。でも今回の朗読の台本を手渡された時、思いの外すっと受け入れられたんです。これまでずっと学んできたからかもしれません。今、私たちは楽しく暮らせています。そのことにも感謝しないといけないって、あらためて思いました。

高山栞さん(13)

声を出して理解深まる

 文字を読むんだけど、声に出して聞いてくれる人たちに伝える朗読は、より理解が深まるというか、言葉が自分に入ってくる感じがしました。でも、「お母ちゃん、すまんね」って、亡くなる時にどうして謝ったのかなと。そんな疑問も湧きました。

 人と人が争うのはすごく怖い。爆弾を落としたり核兵器で脅したり、力でねじ伏せてもいいことなんてないはずなのに。それよりも協力して、お互いの文化も学んで仲良くしていく方がいいと思うんです。私たちは今、ご飯を食べて、眠くなったら寝ることもできます。この日常の幸せをなくさないようにしたいです。

朗読の台本再構成 被爆2世のアナ

「代弁者」 自ら考える出発点に

 「最期の言葉」を集めた朗読の台本は、被爆2世のフリーアナウンサー内海雅子さん=写真・佐伯区=が膨大な手記を読んで再構成した。今の若者たちへの願いを語ってもらった。

 朗読って、黙読や音読と違って自らの声で人に伝えていく。代弁者になるんです。最期の言葉を残した同世代の気持ちになって、自分なりに解釈して、原爆で亡くなった子どもたちとつながってほしい。私はこんな目に遭いたくない、生きていたい―と違和感を抱くのも、77年前と向き合う出発点になると思います。

 私の出発点は、娘の3歳の誕生日の出来事です。私の母が突然わんわん泣き出して。母は原爆が落とされた翌日、疎開していた今の防府市から、広島市にいた自分の母親を捜しに来ました。すると、3歳くらいの子が「お姉ちゃん、水ちょうだい」と。でも周りの大人に「死ぬから駄目だ」と言われ、後ろ髪を引かれながら離れたそうです。

 孫の姿と当時の記憶がつながったんでしょう。それまで一切、話さなかったことです。私も被爆2世として伝えていくことが使命のように感じました。

 被爆者の高齢化が進み、体験を直接聞くのは難しくなっていきます。だけど、被爆手記の「声」をくみ取り、伝えることもできる。大切なのは、わがこととして捉えるかどうか。ロシアのウクライナ侵攻もそう。一人一人の人生が奪われてしまう。戦争ってそういうものだと胸にしっかりとどめておきたいです。

 朗読した「最期の言葉」は台本の表記です。手記などの表現とは異なる部分があります。

(2022年8月6日朝刊掲載)

つなぐ 最後の言葉 原爆の犠牲になった10代 <上> あせぬ記憶 抱きしめる

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