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三宅一生さん死去 広島市出身 世界的デザイナー 84歳 7歳で被爆 平和に思い

 広島市東区出身の世界的な服飾デザイナーで文化勲章受章者の三宅一生(みやけ・いっせい、本名=かずなる)さんが5日、肝細胞がんのため東京都の病院で死去した。84歳。「1枚の布」など斬新な概念のもと現代的な衣服を創造し、「イッセイミヤケ」ブランドを世界に発信した。2009年には米紙に幼少時の被爆体験を寄稿し話題になった。葬儀は既に行った。故人の遺志で告別式やお別れの会は開かない。(城戸良彰)

 1938年生まれ。国泰寺高(中区)を経て、多摩美術大に進学。大学在学中に衣服デザインを始め、60年代後半にはパリやニューヨークで修業する。日本に帰国後の70年、東京に三宅デザイン事務所を設立。73年にはパリ・コレクションに初参加を果たした。

 1枚の布を身にまとう姿を衣服の原点と捉え、シンプルで体形を選ばず体にフィットする服作りを目指した。88年からのプリーツのシリーズは国際的な評価を博し、代表作「プリーツ・プリーズ」は画期的な機能性と風合いで人々を魅了した。

 90年、広島市が現代美術家を顕彰する第1回ヒロシマ賞を受賞。ファッションの世界を芸術の領域に高めたことなどが評価された。97年に紫綬褒章、2010年には文化勲章を受け、広島市名誉市民、広島県名誉県民の称号を贈られた。16年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章コマンドールを受けている。

 7歳で被爆。「被爆者デザイナー」と呼ばれるのを避けようと、長く体験に口を閉ざしてきた。だが、創作の原点としてイサム・ノグチが設計した平和大橋と西平和大橋の欄干デザインに感銘を受けたことを挙げるなど、故郷や平和への思いは持ち続けていた。

 09年、米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿「閃光(せんこう)の記憶」で被爆の事実を初めて発表。当時のオバマ大統領に広島訪問を要請した。願いは16年に実現し、オバマ氏には土産として三宅さんの事務所がデザインした腕時計が贈られた。

(2022年8月10日朝刊掲載)

創作根底に平和への願い 日本の芸術にぽっかり穴 三宅一生さん死去 関係者惜しむ声

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