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創作根底に平和への願い 日本の芸術にぽっかり穴 三宅一生さん死去 広島の関係者惜しむ声

 ファッションの既成概念を破る斬新な服を世に送り出したデザイナーの三宅一生さん。広島での被爆体験を胸に秘めた創作の根底には平和への願いがあった。訃報が届いた9日、古里の広島の同窓生や共にデザインの道を探究した関係者から惜別の声が上がった。

 建築デザイナーの高橋溥(ひろし)さん(82)=埼玉県川口市=は、三宅さんと同じ尾長小(広島市東区)と国泰寺高(中区)の出身。「シャイだけど意志が強い人。高校時代からファッションの道に進みたいと語っていた」と振り返る。国泰寺高時代に同じ美術部だった美術家鈴木沖代さん(85)=南区=は、部活仲間の作品を見た三宅さんが「もっとこうしては」と熱心だったのを懐かしむ。

 1990年に広島市の第1回ヒロシマ賞を受賞した三宅さん。当時、「衣服を作ることは人間と自然への賛歌なくしてはありえない。その基本には平和を望む心がある」と語っていた。母は原爆で大やけどを負って3年たたずに死去。7歳だった自らも閃光(せんこう)を目撃した。

 「被爆者がケロイドで苦しむ中、美しい第二の皮膚を作ろうとしたのだろう」と、広島市現代美術館での展覧会を共につくり上げた元同館副館長の竹澤雄三さん(78)=安佐南区=は推し量る。「周りを巻き込みながら大きな仕事を成し遂げる指揮者のような人だった。私たちに強烈なエネルギーを与えてくれた」と敬意を込めた。

 50年来の交友があった建築家の安藤忠雄さん(80)は半月前に電話で話したばかり。旧日本銀行広島支店の利用方針を提言する有識者として三宅さんと参加した経験もある。「広島の伝統を踏まえ、新しい文化を発信しようと前を向いていた。世界中のアーティストが彼に会いたがった」と振り返る。彫刻家のイサム・ノグチと気が合い、3人でよく話した。「日本の芸術にぽっかりと穴があいたような気持ち。本当に寂しい」と惜しんだ。

 平和への思いをデザインに託した三宅さん。被爆77年の広島原爆の日を前にした5日、旅立った。

芸術 多大な貢献

広島県の湯崎英彦知事の話
 心より哀悼の意を表します。長年にわたりファッション界をリードされ、わが国のみならず世界の文化、芸術の振興に多大な貢献をしてこられた。このたびの悲報は、私だけでなく、県民にとっても大きな悲しみです。

功績 市民の誇り

広島市の松井一実市長の話
 画期的な衣服の概念で世界に衝撃を与え、高く評価されました。訃報に接し驚きと悲しみを禁じ得ません。自らの被爆体験を通し、核兵器廃絶を願うヒロシマの心を世界にアピールされるなど、功績は偉大で市民の誇りでした。

(2022年8月10日朝刊掲載)

三宅一生さん死去 広島市出身 世界的デザイナー 84歳 7歳で被爆 平和に思い

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