×

ニュース

三重吉や民喜… 広島ゆかりの3万点 文人の思索の跡 残す道は

市中央図書館保管 再整備の焦点 遺族ら見守る

 広島市中央図書館(中区)が所蔵する「広島文学資料」。広島市出身の児童文学者鈴木三重吉(1882~1936年)ら広島ゆかりの作家21人がのこした直筆原稿や書簡、初版本など3万3526点に及ぶ。市の図書館再整備計画で、その行方はどうなるのか。現状を見つめ直し、課題を探る。(桑島美帆)

 中核にあるのが「三重吉文庫」だ。大正から昭和初期にかけて児童文化運動を推進した三重吉の関連資料で、約4100点を数える。「赤い鳥」の原本196冊に加え、三重吉の初めての短編「千鳥」(1906年)を読んだ夏目漱石が感想などをつづった書簡、漱石の直筆が入った「三四郎」「行人」の初版本も含む。52年に顕彰会が発足して以降、遺族が寄贈したり図書館が収集したりしてきた。

 文学作品を通じて核兵器の非人道性を訴えた被爆作家の資料も多岐にわたる。峠三吉(17~53年)の代表作「ちちをかえせ」で知られる原爆詩集の草稿、「夏の花」の原民喜(05~51年)の直筆原稿や書簡、原爆罹災(りさい)証明書のほか、民喜を慕っていた遠藤周作の書簡も複数ある。

 中央図書館には一連の資料を保管する専用の収蔵庫はない。一般の書庫の一角にあるロッカーで、中性紙封筒や箱に入れて保管してきた。温度、湿度管理を徹底した収蔵庫がある原爆資料館とは大きく異なる。公開についても、年数回の企画展のほか、3階展示室でわずかな資料を展示するにとどまる。

 こうした状況を危惧したのが、市民グループ「広島に文学館を!市民の会」だ。故好村冨士彦・広島大名誉教授たちが2001年に結成。資料を保全するため、文学館の建設を求める運動を広げたが実現に至らず、10年に解散した経緯もある。

 保管状況に対する懸念から、中央図書館へ資料を託すのを見合わせるケースもある。民喜のおいの時彦さん(88)は15年、民喜が被爆直後の惨状を書き留めた手帳を原爆資料館へ寄託した。民喜の直筆原稿などを所蔵する中央図書館を寄託先には選ばなかった。08年には原爆詩人栗原貞子(1913~2005年)の資料が広島女学院へ寄贈された。

 文人たちの遺族や関係者は高齢化が進んでおり、資料の行き場が滞れば散逸も免れない。先月、中央図書館で自身の名前が刻まれた民喜の遺書と対面した時彦さんは「民喜が世界平和、原爆廃絶への信念をつづったもの。個人では保管できない。市は責任を持って永久保存してほしい」と訴えている。

岩崎文人広島大名誉教授(78)に聞く

原爆文学の直筆 豊富 最適な環境 市は検討を

  ―広島市が検討を進めている市中央図書館の再整備計画をどうみますか。
 図書館は、読書を通じた文化の普及とともに、文化の保全という重要な役割がある。中央図書館は、原爆文学の書き手の直筆資料が豊富だ。非常に貴重な資料を後世にどう残すのか。資料の保全に万全を期すべきだ。

 今図書館が立つ場所は、爆心地や平和記念公園に近く、広島の歴史や文学を思索するには最適といえる。商業施設(移転候補先の一つであるエールエールA館)で歴史資料を保存できるのか、という問題もある。

  ―再整備計画で「広島文学資料」の保存、活用について、市は具体的なビジョンを示していません。
 古い書類や本は劣化するので、温度、湿度管理はもちろん、防虫保護も必要だ。どのような収蔵庫を備え、収集、展示はどうするのか。つぎはぎではなく、長期的な視点に立ち、計画的に考える必要がある。資料によって保管方法も異なる。今回の再整備を機に専門家を交え、最適な環境を検討するべきだ。

  ―新しい中央図書館はどうあるべきでしょうか。
 市はこども図書館を現在地に残すことを表明している。だが、子どもと一般の図書館を分けて考えるべきではない。子どもたちが成長に応じ、次のステップの本や文化に触れられることが大切だ。近くにひろしま美術館もある。それぞれが連携し、協働して広島の文化、芸術を総合的に捉えて計画を進めれば、素晴らしいエリアが生まれる。

(2022年11月23日朝刊掲載)

中央図書館所蔵 3万点どう活用 広島文学資料 近代史語る一級品 「再整備機に在り方検討を」

年別アーカイブ