放影研移転費計上 地元 前進に期待の声
22年12月26日
放射線影響研究所(放影研、広島市南区)を広島大霞キャンパス(南区)へ移転する事業費を政府が2023年度予算案に盛り込んだ23日、関係者は前進を歓迎した。大学との連携で、被爆者医療や放射線研究の発展に期待を寄せる声が上がった。
放影研は6月に移転候補地を広島大霞キャンパスに絞り込んでいた。金岡里充(さとみち)事務局長は「大変うれしい。研究を進める上で大学の近くは大きな利点。大学と連携を深め、後継者の育成にもつなげたい」と喜んだ。
放影研を迎える形になる広島大の越智光夫学長も「被爆地でしかできない、被爆地だからこそすべき放射線研究に多大なメリットがある」と強調。放影研との共同研究を後押しし、大学病院と一緒に被爆者医療を向上させたい考えだ。
「一日も早い実現に取り組んできたので喜ばしい」。広島市の岩崎学・保健医療担当局長はこう受け止めた。ただ、約30年前にも広島大工学部跡地(中区)への移転案が浮上したが、米政府が財政難を理由に予算を確保できず、頓挫した経緯がある。「今回は順調に進むと思っているが、今後のスケジュールを注視したい」と述べた。
市は比治山公園一帯を「平和の丘」に再整備する構想を掲げている。放影研の移転が実現すれば跡地を「平和・芸術文化ゾーン」としてイベント広場やレストランを設ける方針でいる。(川上裕、小林可奈)
<ABCC/放影研の移転を巡る主な動き>
1945年8月 米軍が広島・長崎に原爆投下
47年3月 広島市の広島赤十字病院内に原爆傷害調査委員会(ABCC)が開設
50年11月 広島ABCCが比治山公園に移転開始
75年4月 日米共同運営方式の財団法人放射線影響研究所が発足
86年 市が広島大工学部跡地(中区)を移転先として先行取得
93年 放影研が新施設の建設計画をまとめる。米国側が財政難を理由に難色を
示し、議論は凍結状態に
2006年10月 被爆医療関連施設懇話会が、市中心部への移転を柱とする地元要望を
まとめる
16年11月 市が市総合健康センター(中区)への移転案を示す
19年6月 市総合健康センターへの移転を「可能」とする委託調査の結果が判明
20年11月 新たな候補地として広島大霞キャンパス(南区)が浮上したことが判
明
22年6月 候補地を広島大霞キャンパスに絞り込み
22年12月 日本政府が放影研の移転に向けた事業費を2023年度予算案に計上
(2022年12月24日朝刊掲載)
放影研移転 25年度目標 厚労省が事業費計上
放影研は6月に移転候補地を広島大霞キャンパスに絞り込んでいた。金岡里充(さとみち)事務局長は「大変うれしい。研究を進める上で大学の近くは大きな利点。大学と連携を深め、後継者の育成にもつなげたい」と喜んだ。
放影研を迎える形になる広島大の越智光夫学長も「被爆地でしかできない、被爆地だからこそすべき放射線研究に多大なメリットがある」と強調。放影研との共同研究を後押しし、大学病院と一緒に被爆者医療を向上させたい考えだ。
「一日も早い実現に取り組んできたので喜ばしい」。広島市の岩崎学・保健医療担当局長はこう受け止めた。ただ、約30年前にも広島大工学部跡地(中区)への移転案が浮上したが、米政府が財政難を理由に予算を確保できず、頓挫した経緯がある。「今回は順調に進むと思っているが、今後のスケジュールを注視したい」と述べた。
市は比治山公園一帯を「平和の丘」に再整備する構想を掲げている。放影研の移転が実現すれば跡地を「平和・芸術文化ゾーン」としてイベント広場やレストランを設ける方針でいる。(川上裕、小林可奈)
<ABCC/放影研の移転を巡る主な動き>
1945年8月 米軍が広島・長崎に原爆投下
47年3月 広島市の広島赤十字病院内に原爆傷害調査委員会(ABCC)が開設
50年11月 広島ABCCが比治山公園に移転開始
75年4月 日米共同運営方式の財団法人放射線影響研究所が発足
86年 市が広島大工学部跡地(中区)を移転先として先行取得
93年 放影研が新施設の建設計画をまとめる。米国側が財政難を理由に難色を
示し、議論は凍結状態に
2006年10月 被爆医療関連施設懇話会が、市中心部への移転を柱とする地元要望を
まとめる
16年11月 市が市総合健康センター(中区)への移転案を示す
19年6月 市総合健康センターへの移転を「可能」とする委託調査の結果が判明
20年11月 新たな候補地として広島大霞キャンパス(南区)が浮上したことが判
明
22年6月 候補地を広島大霞キャンパスに絞り込み
22年12月 日本政府が放影研の移転に向けた事業費を2023年度予算案に計上
(2022年12月24日朝刊掲載)
放影研移転 25年度目標 厚労省が事業費計上