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雨に降られた記憶鮮明 救済必要な人まだいる 黒い雨提訴へ 住民・支援団体

 広島原爆の投下直後に降った「黒い雨」を巡り、新たな基準の下で被爆者と認められなかった複数の住民が集団訴訟を準備していることが2日、明らかになった。「雨に遭った記憶ははっきりしているのに、なぜ」。新基準が「被害者の証言や当時の居住地で黒い雨に遭った可能性が否定できない場合」に認定するとした中、提訴の意向を示す住民は行政の判断に納得できない思いが強い。

 1月26日、広島市東区の河野博さん(86)は1年3カ月待ってようやく届いた書類に言葉を失った。被爆者健康手帳の交付申請を却下する通知。「佐伯郡吉和村石原(現廿日市市)にいたことは確認できるものの、黒い雨が降ったことが確認できない」と記してあったという。

 原爆投下時、河野さんは吉和国民学校3年生。午前中に自宅に戻り、川で遊んでいたら雨が降ってきたという。黒い雨に遭った自覚はなかったが、2002年に脳梗塞を患い右半身にまひが残った。そんな時、近隣に暮らす知人が黒い雨を浴びたことで手帳をもらったと知った。

 脳梗塞は手帳交付の対象疾病の一つだ。広島市役所に相談に行ったが、「吉和は範囲外だ」と受け付けてもらえなかったという。

 転機は21年7月の広島高裁判決だった。従来の国の援護対象区域より広範囲で「黒い雨」が降ったと認定した。「望みがある」と思い、判決の3カ月後に市に申請した。しかし期待は裏切られた。

 市によると、新基準では過去の調査で雨が降ったとされる地域を参考に審査しているという。河野さんは「『その地域は降っていない』とはっきり言ってくれたら納得できるのに」と不満を口にする。

 新基準下で申請を却下されたのは1月末時点で100人。支援団体は「救済されるべき人はまだいるはずだ」とし、訴訟への参加者をさらに募るという。(堅次亮平)

(2023年3月3日朝刊掲載)

黒い雨救済 集団提訴へ 広島 新基準導入後初めて

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