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「ヒロシマを証言」思案の軌跡 故松原さんとバーバラさん 日米往復書簡見つかる

 被爆で顔などに大やけどを負いながら国内外で証言活動に努めた故松原美代子さんが、1982年の「米国横断平和キャラバン」を実現させるため、ワールド・フレンドシップ・センター(WFC)創設者で当時すでに米国に帰国していたバーバラ・レイノルズさんと交わした大量の書簡が、広島市西区のWFCで見つかった。米国でどう伝えるか思案した軌跡が見える。

 書簡はファイルに閉じられ、段ボール箱に保管されていた。79~82年に交わした私信の一部とみられる。関係者への報告用と思われる、松原さんによる和訳や下書きなども含まれる。

 松原さんを米国に派遣したのは、被爆地から米国ウィルミントン大平和資料センター(PRC)へ原爆文献を送る活動などを続けた「ヒロシマを知らせる委員会(HAC)」。同年ニューヨークで開かれた第2回国連軍縮特別総会へ向け、反核世論を盛り上げようと企画したようだ。

 62、64年にバーバラさんが提唱した「世界平和巡礼」にも参加した松原さんはHACの事務を担い、バーバラさんの帰国後もこまめに文通。松原さんから渡米の計画を知らされたバーバラさんは「大変重要」と歓迎しつつ「現在の米国人感情を理解することが大切」と強調。在米被爆者や核実験被害者が米政府に援護を求め闘っており、「日本の被爆者のことだけ話に来るなら彼らは反発するだろう」ともくぎを刺す。

 書簡はHAC解散後に業務を引き継いだWFCが、資料整理の過程で発見。キャラバン実現までの動きなど「資料から読み取れることは多い」とし、調査分析を続ける。(森田裕美)

(2023年7月24日朝刊掲載)

半世紀前 草の根の情熱 ヒロシマを知らせる委員会 現存資料から

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