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連載・特集

広島の避難家族 ウクライナ侵攻2年 <1> 働いて生きる道開く

高い「言葉の壁」悩みも

 ロシアによるウクライナ侵攻から24日で2年を迎える。戦火を逃れ、広島県内で暮らすウクライナ人は幼児から高齢者まで45人。終わりの見えない戦況に、多くは故郷に戻る日を見通せずにいる。さまざまな葛藤を抱えながら懸命に生きる避難者家族の今をみる。

 広島市中心部の高層ホテルのレストラン。真新しい制服を着たゾリアナ・ヒブリチさん(20)が、テーブルに皿やフォークを丁寧に並べた。

 昨年11月から週3日、アルバイトとして働く。避難民の就労を支援したいというホテル側の申し出に応じた。お客への声かけや食器を下げる手順など覚えることは多いが、「やりがいがある」と笑顔を見せる。

「人生どうなる」

 2年前までは首都キーウ(キエフ)の大学で経営管理学を学んでいた。講義が終わると友人とショッピングを楽しみ、アルバイトにいそしむ日々。それがロシア軍の侵攻で一変した。

 侵攻が始まって2カ月後、キーウの自宅から母親と日本へ避難して広島市に落ち着いた。「私の人生はどうなるの」。当時はそればかり考えてふさぎこんだ。

 気持ちを切り替えて日本語を専門学校で必死に学んだ。昨年2月から中区の飲食店で週5日勤務。日本語も上達して友人が増えた。

 同12月に始まった「補完的保護対象者」認定制度が、さらにヒブリチさんを前向きにした。「準難民」と認められれば、「定住者」の在留資格を得られる。最長5年間は、就労制限なく日本で働けるため「キャリアを積める」と期待する。

 故郷を離れた寂しさはある。それでも「いま母国に帰っても夢や希望はない」と振り向かない。「一生懸命働いて、日本で生きる道を切り開くしかない」と前へ進む。

学校通えず独学

 福山市に避難するアンナ・セメネンコさん(41)は「働き始めるためにも、もっと日本語をしっかり勉強したい」と話す。侵攻開始から4カ月後、ウクライナ東部のハリコフから6歳と3歳の娘2人を連れて逃れてきた。夫は総動員令によって出国できず、母国に残る。

 県国際課の把握によると、県内のウクライナ避難民45人のうち働いているのは13人。高齢や持病で働けない人もいるが、就職には日本語スキルを求められることが多く、「言語の壁」は相当に高い。母国での職歴を生かしたいと思っても、マッチングがうまくいかないケースもあるという。

 セメネンコさんも日本語を学びたいが、娘2人の世話などもあり日本語学校に通えず、独りで勉強する。家族が頼る日本財団(東京)の金銭支援は3年間。来年6月に期限が切れ、その後の生計を立てる手段は今は見つかっていない。

 かつて母国でピアノ教師だったセメネンコさん。「音楽」「歌」「踊り」…。独学のノートに書き連ねた単語には、これまでのキャリアへの思いもにじんでいた。(新山京子、松本輝)

ウクライナ避難民
 国連難民高等弁務官事務所によると、昨年末時点の国外避難民は600万人を超える。出入国在留管理庁によると、1月24日時点で日本に暮らすのは2102人。「留学」などの在留資格で入国した避難民もいる。

(2024年2月21日朝刊掲載)

広島の避難家族 ウクライナ侵攻2年 <2> 古里の戦火を知らぬ娘

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