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連載・特集

広島の避難家族 ウクライナ侵攻2年 <2> 古里の戦火を知らぬ娘

母子だけの生活続く

 「ウクライナへ行きたい!」。ビクトリア・カトリッチさん(25)の長女ソフィアちゃん(2)が、福山市の自宅で目を輝かせた。お気に入りのおもちゃをかばんに詰め「お出かけ」の準備をする。カトリッチさんは娘の成長を喜ぶ半面、複雑な感情も抱く。娘にとってのウクライナは「テレビ電話で話す祖父母が住む場所」だからだ。

日本の方が長く

 親子が来日したのは、ロシア軍の侵攻が始まった1カ月後の2022年3月末。生後7カ月で古里を離れたソフィアちゃんは、日本での生活の方が長くなった。

 毎晩寝る前にカトリッチさんが読み聞かせるのは日本語の絵本だ。昨年6月から市内の保育所に通い始めた。カトリッチさんは「娘に日本語や日本のアニメを教わることもある」と笑う。

 ウクライナ南部ミコライウでの穏やかな生活は突然奪われた。隣町が砲撃され、昼夜問わず爆発音におびえる毎日が続いた。カトリッチさんは夜中に何か起きても娘を守れるよう、ベッドの下で寝かせるようになった。

 そんな戦火の記憶は、幼子にはない。母国の現状をどう伝えるか、カトリッチさんは踏み切れない。「いつかは教えなければ。古里がどれだけの悲しみに覆われたか」

 ウクライナ避難民の大半は女性と子どもが占める。政府はロシア軍の侵攻直後に総動員令を発令。徴兵の可能性がある18~60歳の男性は出国が原則禁じられた。多くの家族が父や夫を残し、母子だけ異国で暮らす。

なじみない制服

 広島市西区のアンナ・テスレンコさん(37)の長女ディーナさん(11)と長男ヤーリックさん(8)は、市内の小学校に通う5年生と2年生。2人とも今は学校生活を楽しく送るが、「最初は苦しかったと思う」とテスレンコさんは振り返る。

 3人は22年4月、ウクライナ南部クリブイリフから広島へ避難。子どもたちは同年夏から通学し始めたが、なじみのない制服に抵抗感を覚え、言葉も分からない。母国の学校にも在籍しているため、夕方から課題をこなした。両立はしんどく、「ウクライナに帰りたい」とこぼすこともあった。

 先生たちに相談しながら、日本では個別授業などで学習を進め、ウクライナ側には日本の宿題や成績表を写真で送って課題を減らしてもらった。今年に入り「漢字は面白い」「友達がたくさんできた」と笑顔を見せるようになったのが、母は何よりもうれしい。

 今後への不安は消えないが、支え合って乗り越えるしかない。テスレンコさんは「子どもたちの幸せが一番」とかみしめるように話した。(松本輝、新山京子)

(2024年2月22日朝刊掲載)

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