歴代首相と「8・6」 本紙インタビュー 岸田氏「被爆者と思い共有」
24年8月3日
80年目も楽観できぬ状況
被爆地広島、長崎で犠牲者を悼む式典に、歴代首相はどのような心境で臨んだのか。広島が地元の岸田文雄首相は首相官邸で中国新聞のインタビューに応じ、1994、95年の式典に出席した村山富市元首相は書面でメッセージを寄せた。(編集委員・下久保聖司)
「8・6」は私にとって特別な日、厳粛な日。子どもの頃の8月は、祖母が広島市内でやっていた旅館で過ごしていた。昭和30~40年代のこと。当時は地元に大きなホテルがなく、うちの旅館には被爆者運動などに取り組む人たちが全国から集まってきた。私たち家族の居場所もないほどの大混雑だった。
8月は祈りの月。広島では、いろんな人たちが問わず語りに昔の話をする。被爆の傷痕、ケロイドなどを負っている方も随分いたと記憶する。8月6日午前8時15分になると、忙しく働いている人たちも一斉に立ち止まって黙とうをする。厳粛な日だという思いは大人になっても変わらない。
広島の平和記念式典に招待されたのは国会議員になってからだ。唯一出席できなかったのは1993年。細川内閣発足の国会手続きで東京にいなければならなかった。
式典に出席する首相は被爆者と同じ空間に立って思いを共有し、各国大使たちとともに被爆の実相に触れ、世界に向けて平和を訴える。これは大変重要で、重みがある。
そして今、核軍縮・不拡散を巡り大変心配な動きが出ている。だからこそ被爆地で厳粛な時間をともにし、世界に発信することの重要性は高まっていくのではないか。
被爆地選出の首相としての政治成果としては、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に日本のトップとして初めて出席した。さまざまな国際会議を発信の場としてフル活用し「核兵器のない世界」を訴えていくことが自分の役割だと思う。
(日本が批准していない)核兵器禁止条約についても私は条約に取り組む人たちや被爆者と、核なき世界を目指すという目標は間違いなく共有している。現実を変えるには核保有国を動かさねば。核実験と核兵器物質をなくし、管理する。唯一の戦争被爆国の首相として、こうした具体的な取り組みをするのが責任の果たし方だ。
国際社会は、分断や分裂の危機にある。だからこそ私たちはいま一度、協調に向けて努力をしなければならない。そういった中で、ことしも8月6日を迎える。おそらく来年の被爆80年も、国際社会の状況は決して楽観できないのではないか。
もちろん画期的に世界情勢が好転してくれればうれしいが、引き続き重要な時期が続くのではないか。その中で日本の首相としてふさわしいメッセージを、被爆80年の節目に発することは重要だと思う。まあ、それが誰かということを私は申しません。
村山元首相メッセージ 発信 もっと真剣に
ヒロシマ、ナガサキの惨状を知ったのは、戦争が終わり復員してからのこと。その被害の大きさに驚き「絶対に戦争なんかしちゃいかん」とより強く思うようになった。
国会議員になってからも、後遺症に苦しむ被爆者に寄り添い、長年にわたり、国による救済を求めてきた私が、立場を変えて、政府の代表として広島、長崎の式典に参加することには、感慨深いものがあった。何としても被爆者救済をやり遂げるという決意を込めての式典参加だった。もし、私が広島、長崎の式典に出席したことが、首相の式典出席が定着するきっかけとなったのなら、うれしい。
式典のあいさつ文は、事務方を含めて大勢で議論して決めるが、首相の個人的な思いも含めて、世界に発信される平和に対する政府のメッセージでもある。(首相に就いた人は)この点にもっと真剣に向き合ってほしい。 日本政府は唯一の戦争被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、平和国家として、国際的な軍縮を積極的に推進していく責任があると思う。
(2024年8月3日朝刊掲載)
歴代首相と「8・6」 岸田氏「特別・厳粛な日」 本紙インタビュー 式典 現職出席「重要」