[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1950年夏 呼び名「原爆ドーム」初使用
25年2月17日
被爆から5年の1950年夏、盆灯籠を持つ子どものそばで広島県産業奨励館の残骸が惨禍の記憶を刻んでいた。50年6月23日付の中国新聞社説で「原爆ドーム」と表され、現在は新聞紙上での最初の使用例とされている。51年夏には、この呼び名が新聞・雑誌で散見されるようになり、52年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効で日本が独立を回復して以降、より一般的に使われ始める。(編集委員・水川恭輔)
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50年6月、朝鮮戦争が勃発。原爆が人間に何をもたらしたのかを伝える営みは占領下の制約の中でも紡がれ、それが解かれるとさらに広がった。一方で、54年に米国が中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でした水爆実験により第五福竜丸が被曝(ひばく)。核時代の危機が一層深まる時期をたどる。
(2025年2月17日朝刊掲載)
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1950年10月 「原爆の図」展示 人間の惨状 夫妻で描く
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50年6月、朝鮮戦争が勃発。原爆が人間に何をもたらしたのかを伝える営みは占領下の制約の中でも紡がれ、それが解かれるとさらに広がった。一方で、54年に米国が中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でした水爆実験により第五福竜丸が被曝(ひばく)。核時代の危機が一層深まる時期をたどる。
(2025年2月17日朝刊掲載)
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1950年10月 「原爆の図」展示 人間の惨状 夫妻で描く