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[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1950年8月6日 朝鮮戦争が影 平和祭中止に

 1950年8月6日。原爆投下時刻に広島市内にサイレンが響き、市民がそれぞれの場所で黙とうした。47年から3年続いていた平和祭(現平和記念式典)は、市などでつくる主催者の広島平和協会が4日前に突然、中止を決定。市は6日を「反省と祈りの日」とするよう呼びかけた。

 先立つ6月25日、朝鮮戦争が始まっていた。7月に米軍主導の国連軍が結成され、韓国を支援。後に中国も北朝鮮のために義勇軍を送る。米国中心の資本主義陣営と、ソ連盟主の共産主義陣営との冷戦下で争いが激化し、核兵器使用の懸念も増大。連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官は国連軍を率い、日本は戦争の後方補給基地となった。

 広島平和協会は当初、「現在の情勢」だからこその平和祭開催の意義を説いた。7月、GHQなどに式典へのメッセージを要請した文書では「戦争が無意味且(か)つ罪悪」との認識を広げ、平和を守ると訴えた。

 7月下旬には、海外にポスターや案内を送っていたが、8月2日に急転直下で中止を発表。主催者から詳しい理由の説明はなかったが、GHQ側の意向の影響は明らかだった。

 6日は、サマータイムで時計の針を1時間進めていたため、午前9時15分にサイレンが鳴った。ただ、平和祭同様に、前年まで一貫して「戦争放棄」を訴えていた広島市長による平和宣言もなかった。

 一方、この日、市が編集した1冊の本が発行された。市民から初めて募った手記を収めた「原爆体験記」。巻頭に、こう記す。「あらゆる苦悩と悲しみのどん底に生き抜き、そして立ち上がった人達のこの聖なる手記は、二つの世界の激しい対立の嵐吹きすさぶ中に、天来の平和の訴えとして人の子の耳を傾けさせないであらうか」(下高充生、山下美波)

(2025年2月16日朝刊掲載)

[ヒロシマドキュメント 被爆80年 1945.8.6~2025] 1950年6月 朝鮮戦争開戦 8月 平和祭中止

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