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[ヒロシマドキュメント 証言者たち] 原爆小頭症の川下さん 「1人で何でも」母の厳しさ

 遺影の母は穏やかに笑っている。温かくも厳しい人だった。長女の川下ヒロエさん(79)=広島市東区=は「魚の炊き方とか、野菜の切り方とか。間違えると怒るの」と振り返る。「私のこと、1人で何でもできるようにしたかったのかな」。その母を11年前に亡くし、今はアパートに1人で暮らす。

 ヒロエさんは1945年8月6日、爆心地から約1キロの広瀬北町(現中区)にいた母兼子さんのおなかの中で、原爆に遭った。妊娠初期に強力な放射線を浴び、生まれながらに知的、身体障害がある「原爆小頭症被爆者」だ。身長は135センチ。幼い頃から体が弱く、病院と縁が切れなかった。今は脳に腫瘍を抱え、半年ごとの検査が欠かせない。

 「娘が悩みの種なんですよ」。96年夏、広島市内で初の被爆証言に臨んだ兼子さんは、そう語っていた。肉声を録音したカセットテープが残る。「私が生きている間は何とかできるでしょうけれど、1人になったら…」

 母子は30年を過ごした北九州市から、被爆者への理解と支援を頼り、95年に広島市へ越してきた。兼子さんは証言で、戦後の試練も振り返っている。夫は原爆死。乳飲み子のヒロエさんを抱え、五つ上の長男を泣く泣く、手放した。心を鬼にするほかなかった。障害のある娘を養い、生き抜く力を付けさせるために―。(編集委員・田中美千子)

(2025年4月28日朝刊掲載)

[ヒロシマドキュメント 証言者たち] 川下ヒロエさん(前編)

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