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[戦後80年] 岩国沖の陸奥 朽ち果てた姿 8日慰霊の日

 太平洋戦争中の1943年6月、岩国市の柱島沖で戦艦陸奥が謎の爆沈をし、8日で82年を迎えた。海底には主砲など船体の一部が今なお残るが朽ち果て、さらに崩壊が進む。

 水深14~40メートルに眠るのは艦首側にあった主砲や、艦橋など。船体は上下を逆さにし、主砲は泥の中へ埋もれつつある。天井の甲板が剝がれ落ち、むき出しになった部屋もある。今月1日に本紙カメラマンが海域に潜り、写真に収めた。

 陸奥で爆発が起きたのは43年6月8日正午すぎ。柱島と周防大島の間で停泊中だったが、爆発により艦体が割れて沈んだ。1121人が犠牲になり、生き残ったのは350人とされる。爆沈の事実は戦時下で伏せられた。

 旧海軍の主力戦艦だった陸奥は21年に完成し、戦艦長門とともに当時最大の16インチ(40・6センチ)砲を備えた。後の改修で全長225メートルになり、欧米の列強に対抗。41年の真珠湾攻撃では後方支援に当たった。

 遺族や生存者の熱意で70年に引き揚げ作業が始まり、艦体の7割と遺品が回収された。山口県周防大島町の陸奥記念館で展示されている。町内では毎年6月8日に慰霊祭が営まれる。今年も午前11時、油田農村環境改善センターで開かれる。(山本祐司)

(2025年6月8日朝刊掲載)

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