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[ヒロシマドキュメント 証言者たち] 息子が伝承者の岡本さん 90歳過ぎ 記憶の封印解く

 「うちのママさん、それはきれいだったの」。母の思い出を語る時、広島市南区の岡本純子(すみこ)さん(95)は少女のような笑顔になる。12歳の頃、憧れの「県女」(広島県立広島第一高等女学校、現皆実高)に合格すると、母はことのほか喜んだ。2人で記念写真を撮った。「革のかばんも買ってくれました」

 でも、「あの日」のことを問うと、純子さんの表情は途端に曇る。1945年8月6日、母は職場に向かったきり、行方が分からなくなった。明くる日から焦土と化した街を捜し歩いたが、遺骨さえ見つからなかった。

 長年、封印してきた記憶。語り始めたのは90歳を過ぎてからだ。市の「家族伝承者」を志した一人息子の雅隆さん(73)=西区=に促された。

 「地獄があるならこんなところか、思うたよ」。3年前に撮った動画では、遺体だらけの街の様子を克明に語り、上着を脱ぎ始める。「私、汗びっしょり。原爆のこと、思い出すだけでも嫌だから」

 雅隆さんは「聞いておいて良かった。ぎりぎりのタイミングでした」と言う。1人暮らしが難しくなった母は昨年1月、市内の介護施設に移った。もの忘れが進んだ、と感じる。「祖父とも、もっと話しておくべきでした。葛藤があったはずです」。祖父とは、純子さんの父のこと。ハワイ生まれの日系米国人2世だった。(編集委員・田中美千子)

(2025年6月10日朝刊掲載)

[ヒロシマドキュメント 証言者たち] 岡本純子さん 惨禍の記憶 息子に託す

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