『この人』 今年の「ヒロシマ・アピールズ」ポスターを制作したアートディレクター 北川一成(きたがわいっせい)さん
25年7月10日
平和とは何か―。自問自答を重ね、生み出したのは白地の中心に「PEACE」の5文字を並べた作品だった。
意識したのは言葉の重み。「文字に残し、印刷されることで、人間は過去と未来をつないでいる」。歴代制作者の多くがイラストで核兵器廃絶や平和への願いを表現してきた中、その作風は異彩を放つ。「平和という言葉を真に理解できるのか、戦争を経験していない身としてジレンマもあった」
1983年。在学中だった筑波大の講義でヒロシマ・アピールズの1作目を見た。以来、「もし自分が作るなら」との思いはどこかにあった。制作依頼を受けたのは今年1月。「まさか自分が」。被爆80年の節目に機会は巡ってきた。
脳裏に浮かんだのは戦時下の暮らしを教えてくれた曽祖母の姿だった。いつもは優しい曽祖母が、米粒一つ残すと手を震わせて怒った。食べる、笑う、絵を描く…。当たり前の日常こそが「平和」との思いを新たに、制作に取りかかった。
兵庫県出身。70年の大阪万博で「太陽の塔」を目の当たりにして「芸術にしびれた」。高校時代に訪れたフランス・パリの美術館や街並みにも刺激を受け、進路を決めた。これまで企業のロゴデザインなどを制作。昨年は優れたグラフィックデザインに贈られる「亀倉雄策賞」を受賞した。
趣味は読書。「歴史や科学は日々アップデートしている。分かったと思うより、分からないと思い続けている」。原子力が核兵器開発に転用された過去を踏まえ、人工知能(AI)が人類に何をもたらすのか、関心を寄せる。東京都在住。(下高充生)
(2025年7月10日朝刊掲載)
[被爆80年] 「PEACE」に思い込め 「ヒロシマ・アピールズ」ポスター完成
意識したのは言葉の重み。「文字に残し、印刷されることで、人間は過去と未来をつないでいる」。歴代制作者の多くがイラストで核兵器廃絶や平和への願いを表現してきた中、その作風は異彩を放つ。「平和という言葉を真に理解できるのか、戦争を経験していない身としてジレンマもあった」
1983年。在学中だった筑波大の講義でヒロシマ・アピールズの1作目を見た。以来、「もし自分が作るなら」との思いはどこかにあった。制作依頼を受けたのは今年1月。「まさか自分が」。被爆80年の節目に機会は巡ってきた。
脳裏に浮かんだのは戦時下の暮らしを教えてくれた曽祖母の姿だった。いつもは優しい曽祖母が、米粒一つ残すと手を震わせて怒った。食べる、笑う、絵を描く…。当たり前の日常こそが「平和」との思いを新たに、制作に取りかかった。
兵庫県出身。70年の大阪万博で「太陽の塔」を目の当たりにして「芸術にしびれた」。高校時代に訪れたフランス・パリの美術館や街並みにも刺激を受け、進路を決めた。これまで企業のロゴデザインなどを制作。昨年は優れたグラフィックデザインに贈られる「亀倉雄策賞」を受賞した。
趣味は読書。「歴史や科学は日々アップデートしている。分かったと思うより、分からないと思い続けている」。原子力が核兵器開発に転用された過去を踏まえ、人工知能(AI)が人類に何をもたらすのか、関心を寄せる。東京都在住。(下高充生)
(2025年7月10日朝刊掲載)
[被爆80年] 「PEACE」に思い込め 「ヒロシマ・アピールズ」ポスター完成