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被爆80年託す想い 北朝鮮へ渡った母 「あのとき行かせなければ」

 「オモニ(お母さん)は小柄でね。でも強い人でした」。姜周泰(カン・ジュテ)さん(86)=大竹市=は、亡き母李孟体(リ・メンチェ)さんの写真をそっとなでた。1972年、新潟港から「祖国」へ見送った時の1枚だ。

 朝鮮半島出身の母は波乱の人生を送った。80年前、暮らしていた広島で被爆。病弱な父に代わって一家6人の大黒柱を担い、弟を身ごもっていた。自宅も職も失った。しばらくして四男を亡くした。民族差別にも苦しんだ。それでも家族の心のよりどころであり続けてくれた。

 「地上の楽園」と信じた北朝鮮を目指し、船に乗り込んだ母。その目は涙にぬれていた。亡くなる前に会えたのは1度だけ。今は墓参りすらできない。「あのとき行かせなければ」。海を渡ったことを母も悔いていたのだろうか。(馬上稔子)

(2025年7月30日朝刊掲載)

被爆80年託す想い 姜周泰さん 原爆と民族差別 心に傷 家族分断 苦しみ考えて

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