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連載・特集

基地負担の現在地 普天間と岩国 <下> 「返還」の現状

日米合意29年 見えぬ道筋

 沖縄県宜野湾市の嘉数(かかず)の丘に上った。展望台から市域のど真ん中にある米軍普天間飛行場が見渡せる。「世界一危険」といわれる理由がよく分かる。輸送機オスプレイやヘリコプターが駐機する敷地を囲む形で、マンションや一戸建てが密集していた。

避難が日常に

 周辺には子どもの施設も多い。2017年12月、緑ケ丘保育園(同市)にヘリの部品が落下した。その6日後には、フェンス1枚で飛行場と隔てられた普天間第二小(同)にヘリの窓が落ちた。しばらく児童の避難が日常になった。

 当時、保育園に長女を通わせていた与那城(よなしろ)千恵美さん(52)=同市=に話を聞いた。父は基地従業員。飛行場は身近な存在だったが、立て続けの事故で意識が一変した。「こんなに危険な所に住んでるんだと初めて気が付いた」と振り返る。長女は今、その第二小に通う。

 与那城さんは保育園の保護者とグループをつくり「せめて学校の上空は飛ばないでほしい」と政府へ要請を始めた。「安心して通わせたいだけ」と取り組みを続ける。

 一緒に第二小へ向かった。ちょうど校庭近くをオスプレイが飛んだところだった。「事故があっても何も変わってない」。機影を見送り、与那城さんが漏らした。

 普天間飛行場は1996年に日米両政府が返還に合意したが、実現していない。「むしろ普天間は強化されている」。基地問題に詳しい沖縄国際大(同市)の前泊博盛教授はそうみる。

 同大は飛行場の真横にあり、教授の研究室から動向が見える。ここ8年ほどで滑走路はかさ上げ工事され、戦闘機のオーバーランを防ぐ設備も整備されたという。この日も建物が工事のシートで覆われていた。

 「米軍が返還するつもりがないことは、こういう工事を見れば分かる」と前泊教授。日本政府が移設先として示す名護市辺野古についても、当の米軍関係者から「使えない」という声を聞くという。滑走路が短く、埋め立てる湾の軟弱地盤がネックになるからだ。返還合意から29年。まだ道筋は見えない。

岩国市は「共存」

 戦後80年の今、国際情勢は緊迫した状態が続いている。沖縄の基地は有事の際、攻撃対象となる可能性がある。さらに前泊教授は「米軍にとってアジアで最も重要な岩国基地も同じでしょう」と指摘した。

 米軍岩国基地(岩国市)は14年に普天間から空中給油機を受け入れた後、空母艦載機の拠点になった。「極東最大級」の米軍基地と呼ばれる規模になっている。

 沖縄の自治体や住民が普天間の返還を求め続けているのに対し、岩国市は基地との「共存」をまちづくりの方向性として掲げている。

 二つの基地を取り巻く環境や人々のスタンスは異なる。しかしフェンスのそばで暮らす住民が負担に向き合う現実は変わらない。あらためて直視し、在り方を考える必要がある。  (長久豪佑)

(2025年7月31日朝刊掲載)

基地負担の現在地 普天間と岩国 <上> 自治体の姿勢

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