被爆地訪問 日米首脳に要請 米の平和資料センターに50年前の「訴え」 核の先制使用放棄や三原則順守も
25年10月21日
広島市特別名誉市民の米国人平和運動家、バーバラ・レイノルズさん(1915~90年)が収集した資料を所蔵する米オハイオ州のウィルミントン大平和資料センターに、米国の有識者らが日米両首脳に広島と長崎への訪問などを求めた1975年8月5日付の書簡が複写で残されている。米国には核兵器による先制使用の放棄を、日本には非核三原則の順守を求めていた。
この日はセンター設立を記念し、広島と長崎から渡米した被爆者や在米被爆者も加わり国際会議が開かれていた。ちょうど三木武夫首相とフォード大統領がワシントンで日米首脳会談に臨んでいたことから、国際会議の成果を文面に盛り込みホワイトハウスに送った。
書簡には、ノーベル化学賞と平和賞を受賞したライナス・ポーリング氏、被爆者のため広島市内に多くの家を建てたフロイド・シュモー氏たちが名を連ねた。被爆30年を踏まえ、原爆被害を「ホロコースト(大虐殺)」と表現。「核兵器の先制使用は確実に放棄」して核兵器の製造や保有、実験を停止すること、日本には非核三原則の順守を迫った。冷戦期の「核抑止論」への強い反発がセンターの出発点にあったことが読み取れる。
センターは、国務省日本部副部長名の8月28日付返信の複写も所蔵。「核で第一撃を加える能力も運用方針も発展させないというのが米国政府の方針」と答えている。
ただこの時期、米国防長官が韓国と日本の防衛を念頭に「核の使用も辞さない」と発言していた。前年には米議会の公聴会で、退役軍人が核搭載艦船の日本寄港を事実上認めたことから大きな問題になっていた。
レイノルズさんは64年、被爆者たちが米ソなど8カ国を75日間かけ巡り被爆の実情を伝えた「広島・長崎世界平和巡礼」を主導。広島市内にワールド・フレンドシップ・センター(WFC)を設けた。(山本祐司)
(2025年10月21日朝刊掲載)
反核・平和活動の記録 次代へ バーバラ・レイノルズさん収集 「米国随一」の所蔵米ウィルミントン大資料センター50年
この日はセンター設立を記念し、広島と長崎から渡米した被爆者や在米被爆者も加わり国際会議が開かれていた。ちょうど三木武夫首相とフォード大統領がワシントンで日米首脳会談に臨んでいたことから、国際会議の成果を文面に盛り込みホワイトハウスに送った。
書簡には、ノーベル化学賞と平和賞を受賞したライナス・ポーリング氏、被爆者のため広島市内に多くの家を建てたフロイド・シュモー氏たちが名を連ねた。被爆30年を踏まえ、原爆被害を「ホロコースト(大虐殺)」と表現。「核兵器の先制使用は確実に放棄」して核兵器の製造や保有、実験を停止すること、日本には非核三原則の順守を迫った。冷戦期の「核抑止論」への強い反発がセンターの出発点にあったことが読み取れる。
センターは、国務省日本部副部長名の8月28日付返信の複写も所蔵。「核で第一撃を加える能力も運用方針も発展させないというのが米国政府の方針」と答えている。
ただこの時期、米国防長官が韓国と日本の防衛を念頭に「核の使用も辞さない」と発言していた。前年には米議会の公聴会で、退役軍人が核搭載艦船の日本寄港を事実上認めたことから大きな問題になっていた。
レイノルズさんは64年、被爆者たちが米ソなど8カ国を75日間かけ巡り被爆の実情を伝えた「広島・長崎世界平和巡礼」を主導。広島市内にワールド・フレンドシップ・センター(WFC)を設けた。(山本祐司)
(2025年10月21日朝刊掲載)
反核・平和活動の記録 次代へ バーバラ・レイノルズさん収集 「米国随一」の所蔵米ウィルミントン大資料センター50年