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金大中元大統領が死去 ノーベル平和賞 初の南北会談 85歳

 日本からの拉致事件や死刑判決などの苦難に遭いながら韓国の民主化運動をけん引し、2000年に北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記との南北首脳会談を実現させノーベル平和賞を受賞した韓国の金大中(キムデジュン)元大統領が18日午後1時43分(日本時間同)、多臓器不全のためソウル市内の病院で死去した。85歳。病院が同日、発表した。肺炎のため今年7月13日から入院していた。

 1998年2月から5年間の任期中、「国家破産の一歩手前」といわれた未曾有の通貨危機を克服する一方、対北朝鮮「太陽(包容)政策」を掲げ南北交流・協力を推進。日本の大衆文化の段階的開放に踏み切り、2002年のサッカー・ワールドカップ(W杯)日韓共催を成功に導くなど対日関係改善にも尽力した。

 1998年10月、大統領として初めて訪日し、故小渕恵三首相との間で過去の日韓関係を総括し、未来志向的な関係構築を目指す「日韓パートナーシップ宣言」に署名した。

 日本の植民地支配時代の1924年、全羅南道新安で生まれた。1961年、国会議員に初当選。1971年の大統領選で当時現職の朴正熙(パクチョンヒ)大統領に惜敗。1973年8月、東京のホテルから当時の韓国中央情報部(KCIA)に拉致され、ソウルに連れ戻された。

 1980年の光州事件を首謀したとして死刑が確定したが、1982年に刑の執行停止で釈放、渡米。その後も大統領選に2回落選、政界引退も表明したが復帰し、4度目の挑戦となった1997年の大統領選に勝利。韓国初の与野党政権交代を実現した。

 大胆な構造改革を進め「情報技術(IT)大国」を建設。対北朝鮮では交流・協力事業が活発化。南北離散家族再会のほか朝鮮半島を縦断する鉄道・道路の連結にも尽力したが、政権末期には贈収賄事件などで側近や2人の息子が逮捕された。

(共同通信配信、2009年8月19日朝刊掲載)


「ヒロシマ宣言」の一人 広島の関係者から悼む声

■記者 吉原圭介、林淳一郎

 18日死去した韓国の金大中元大統領は今年5月、中国新聞紙面を通じて 「ヒロシマ・ナガサキ宣言」を発表したノーベル平和賞受賞者17人のうちの一人だった。被爆地広島でも、核兵器廃絶や朝鮮半島の平和に尽力した生涯を悼む声が上がっている。

 宣言は、世界の政治指導者や市民に「核兵器のない世界」の実現を呼び掛ける内容。広島県被団協の坪井直理事長(84)は「残念な知らせだが、金元大統領の平和への願いは宣言にしっかり刻まれ、その心を大事にしなければならない」。

 宣言と前後して北朝鮮はミサイル発射や核実験を強行。韓国内で北朝鮮への強硬姿勢を求める声が高まる情勢にもかかわらず、金元大統領は宣言への賛同署名とは別に、中国新聞あてに「平和を愛する世界中の市民が連帯し、より早く核兵器のない世界を現実のものとするよう願っています」との独自のメッセージをファクスで寄せた。

 原爆資料館(広島市中区)の前田耕一郎館長(60)は「太陽政策に代表される和解の精神は広島の願いとも通じていた。核兵器のない世界と北東アジアの平和を願っていた人で、もっと力を発揮できたと思う」と惜しんでいた。

(2009年8月19日朝刊掲載)

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