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連載・特集

[オバマ米大統領を迎えた夏] 再現 5・27平和公園 招待者、共感と注文 広島

 5月27日のオバマ米大統領の広島訪問。かつてない物々しい警備が敷かれ、平和記念公園(広島市中区)での訪問行事には限られた招待者や関係者ら約100人が立ち会った。招待者のうち被爆者は10人。オバマ氏は原爆資料館で何を見て、どう振る舞ったのか。「ヒロシマ演説」を静寂の中で聞いた被爆者や若者はどう受け止めたのか。あの「52分」を再現する。(田中美千子、有岡英俊、水川恭輔、久保友美恵)

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対面機会 少なかった

在米被爆者カノウさんきょうだい

米政府の招きで出席

 在米被爆者のカノウヨリエさん(73)=カリフォルニア州、トシハルさん(70)=ユタ州=のきょうだいは、米政府に招かれて訪問行事に出席した。ヨリエさんが広島を訪れたのは41年ぶり。トシハルさんは4歳の時以来という。オバマ氏と被爆者との対面機会が限られたことに「被爆者の叫びを聞いてほしかったし、手を握り、ぬくもりを感じてほしかった」と振り返る。

 日系移民の子孫。ハワイ生まれの両親は太平洋戦争の開戦前、広島に戻っていた。1945年8月6日、きょうだいと母親は西白島町(現中区)の自宅にいた。長女のヨリエさんは2歳、次男のトシハルさんは母親のおなかの中。家屋の下敷きになったが、はい出して助かった。ただ一緒にいた1歳の長男は3カ月後、息を引き取った。

 父親も自宅近くの路上で被爆。一家は61年に米国へ戻った後も、心身の傷を抱えて生きてきた。トシハルさんは2015年、その歩みをつづった本を出版。「私も体の不調に苦しんできた。経験を通し、核戦争の恐ろしさを伝えたかった」と言う。

 オバマ氏の演説のうち、「われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない」との一文にきょうだいは希望を見いだした。「原爆投下は過ちだ。全ての大量破壊兵器の廃絶を願う」

「サンキュー」聞こえた

坪井直さん(91)=広島市西区

 ≪広島工業専門学校(現広島大)3年の時に爆心地から約1・2キロで被爆。オバマ氏と約2分対話した≫
 広島に来たのはよかった。確かに原爆資料館を10分訪れたぐらいで被害を分かったとされては困る。でも、原爆を落とした国の大統領が被爆者に耳を傾けたのだから意味ある一歩だ。

 オバマさんと手を握り合って大きく三つ話した。まず訪問への感謝。次に「これからが大事。また広島に来て見たり聞いたりを重ねてください」と言うと、握手が強くなって笑みも浮かんだ。最後に「核兵器をゼロにするため、共に頑張りましょう」と。オバマさんから聞こえたのは「サンキュー」だけだった。

 大やけどを負わされ、米国への憎しみは腹の底にあるが、演説で人類の幸せの観点から戦争をなくそうと訴えたオバマさんには温かさを感じた。多くの被爆者はもう何年も動けないだけに、これをチャンスと捉えないと元気が出ない。核兵器ゼロへ、被爆者も諦めずに頑張りたい。

手もまなざしも温かく

森重昭さん(79)=広島市西区

 ≪己斐国民学校3年の時に被爆。被爆死した米兵捕虜について調べた。演説後、オバマ氏と言葉を交わし、肩を抱かれた≫
 米国が私の研究を評価して最前列席を用意してくれた上に、トップの口から原爆の犠牲となった米兵を悼む言葉を聞き、二重の感激だった。大統領と対面した際は緊張で頭が真っ白に。それでも「12人の死んだ米兵が天国から見ていると思います」と伝えた。遺族や同僚をずっと追悼していた米国にいる元米兵の顔が浮かび、胸がいっぱいになった。

 演説する大統領の真剣な目を見て「戦争のない世界を目指すために悩み抜いてきた人だ」とも感じた。その手も、まなざしもとても温かった。

被爆の実態向き合わず

田中熙巳(てるみ)さん(84)=埼玉県新座市

 ≪旧制長崎中1年の時に、爆心地から3・2キロの自宅で被爆した≫
 被爆資料を目に焼き付け、複数の被爆者の声を聞き、犠牲者を慰霊する―。この三つを期したが、オバマ氏は被爆地を駆け抜け、原爆被害の実態にきちんと向き合わなかった。

 あれでは意味がない。演説を聞いた直後は評価できるように思ったが、読み返して反省した。核軍縮の具体策は一切ない。さらに許せないのが「死が落ちてきた」との一文だ。原爆投下の責任を回避した。被爆者は、米国が謝罪の気持ちを核兵器廃絶への行動で示すよう願っている。最大限に努力してほしい。被爆地再訪も求めたい。

折り鶴 しゃがみ込み見学 志賀館長に聞く

 初めて米大統領を迎えた原爆資料館。当日の展示やオバマ氏の表情を志賀賢治館長に聞いた。

 外務省から事前に「見学時間を30分間取るのはとても難しい」と伝えられたので、限られた時間で被爆の実態を伝えるための展示を東館1階に用意した。

 (2歳で被爆して10年後に白血病で亡くなった)佐々木禎子さんの折り鶴、被爆遺品、写真パネルを展示した。「『サダコ』は米国でも知れ渡り、オバマ氏も関心がある」と外務省から聞いていた。収蔵庫で保管している折り鶴(約1センチ四方)のうち20羽ほどを展示台に並べ、見学の直前にアクリルケースを外した。オバマ氏はしゃがみ込み、折り鶴を目線の高さに合わせ熱心に見ていた。

 来館者には展示から、遺品を残した人間の悔しさ、無念さを何より感じてもらいたい。禎子さんの遺品である折り鶴を見たオバマ氏も同じだ。けなげに折った生前の姿と無念の死、「8月6日」のとてつもない暴力を想像してもらえたなら、と思う。見学後の演説では、見た物や感想を語ってほしかった。

 折り鶴のほかに並べたのは、収蔵庫で保管しているいくつもの被爆遺品と、被害の実態を伝える写真パネルだが、当初からの方針で詳細は言えない。ただ、市民の関心にできるだけ応えたいジレンマはある。いつか公表できる時に備え、資料館で当日の記録はきちんと残しておく。(談)

記念品に広島らしさ

 広島県と広島市、原爆資料館は、それぞれオバマ氏に広島ゆかりの記念品を贈った。

 県は、竹原市出身で文化功労者の陶芸家、今井政之さん(85)=京都市=の作品「象嵌彩窯変(ぞうがんさいようへん) 鸛鶴(こうづる) 花壺(はなつぼ)」=写真右上(広島県提供)。平和の象徴としてコウノトリ2羽があしらわれている。県によると、今井さんはオバマ氏のプラハ演説に感動し、6年前に陶額を本人に贈っており、作品の提供を依頼した。

 市は2品。デザイナーで被爆者の三宅一生さん=東区出身=の事務所がデザインした腕時計=同左上(広島市提供)=は、4月に市であった外相会合の出席者に贈ったのと同じモデル。紅葉柄の万年筆=同下(同市提供)=は呉市発祥のセーラー万年筆製。いずれも4万円相当という。

 帰国後も、あの日の惨状に向き合える品にしたのは原爆資料館だ。常設展示している被爆者の遺品や被爆直後の写真を紹介する「ヒロシマを世界に」と、被爆者らが自ら描いたあの日の体験や脳裏に焼き付く光景など1246点を収めた「原爆の絵 ヒロシマを伝える」の二つの図録を選定。写真家土田ヒロミさんが撮影した写真の額装も贈り、動員学徒の遺品の弁当箱が写っている。

演説聞き原爆被害考えた/大統領の笑顔見えて安心/核廃絶の道筋示さず残念

中島小(広島市中区)

  大亀ひなたさん(12)
 被爆者の曽祖母は腕に原爆のケロイドがある。被爆者に目を合わせ、演説する姿に心が温かくなった。

  竹本沙代(わか)さん(11)
 「空から死が落ちてきた」という言葉に、原爆投下前、平和記念公園にあった町の被害を考えた。

  福岡拓巳君(11)
 米国は戦争のイメージが強いけど、熱心な表情にオバマさんは平和へ取り組もうとしていると感じた。

  亀田悠真君(11)
 原爆についてよく調べていると思った。僕も核兵器廃絶のために何をすればいいか、学ぼうと思う。

吉島中(中区)

  吉原怜央さん(14)
 大統領は僕たちを見ながら語ってくれた。被爆者の声を未来に伝えていかなければ、と思う。

  森岡拓さん(14)
 被爆者と言葉を交わした大統領がにこっと笑顔を見せたので、いい話をできたのだろう、と安心した。

  下村めぐさん(14)
 祖母は被爆者。原爆犠牲者は私たちのように普通に暮らす市民だったという一節が心に残った。

  赤畑利奈さん(14)
 演説を聞き、私も戦争の歴史や原爆について外国の人に伝えられるよう勉強したいと思った。

長崎

  中原ゆかりさん(22)
 美しい演説に、核を手放せない保有国の主張もあった。奪われた市民の日常に言及した点には共感した。

  安野伊万里さん(16)
 演説は核兵器廃絶への道筋を示さず残念だったけど、被爆者の存在を世界に広く発信してくれた。

  森内暖安(のあ)さん(14)
 目が合うと握手してくれた。戦争はいけないという思いが伝わった。長崎でも被爆者と話してほしい。

(2016年7月20日朝刊掲載)

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