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3.11とヒロシマ

グレーゾーン 低線量被曝の影響 第4部 核大国の足元で<上> 風下から

住民の被害 立証難しく

 71年前、人類史上初めて原爆を広島と長崎に落とし、核時代の幕を開けた米国。冷戦期には旧ソ連との核軍拡競争を繰り広げ、軍事、民生の両方であらゆる核の技術的進歩を追求すればするほど、多くのヒバクシャを生んだ。至近距離で瞬間的に大量の放射線を浴びた広島と長崎の例とは異なるだけに、被曝(ひばく)と健康被害との因果関係の立証は難しく、救済されないままの人たちもいる。核大国ならでは、ともいえる「低線量被曝」の現状と課題を探る。(金崎由美)

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核実験場から800キロ。 でも線量は全米最高レベル

甲状腺疾患の女性 救済求める

 見渡す限りジャガイモ畑が広がる米国西部のアイダホ州。州都ボイジーから約50キロ北西の盆地状の土地に、約6600人が住む静かな町エメットがある。西部開拓時代の1860年代、ゴールドラッシュを目指す人たちの中継地として発展した。

 この町でドーナツ店を営むトナ・ヘンダーソンさん(55)は、核実験の健康被害を訴える住民で結成した「アイダホ・ダウンウィンダーズ」の代表だ。「私たちも『ダウン・ウィンダー(風下地区の住民)』だと認めてほしい。いつまで待たなければならないのか」。ドーナツ作りの手を休めて語り出した。

 風下地区とは、核実験によるフォールアウト(放射性降下物)が風に乗って流れたエリアを指す。とはいえ、エメットからネバダ核実験場まで約800キロ。広島で言えば、福島県南部に当たる。ここまで放射性物質が飛散してくるとは…。

 するとヘンダーソンさんは、1955年3月の古い新聞記事のコピーを取り出した。「大雨の後、エメットで白い残留物が確認された。線量計で測ると通常の2倍の線量を計測。だが健康には影響ない」などとある。「私も最近まで知らなかった」

 認識が一変したのは12年前。50年代の大気圏内核実験に関し、国立がん研究所が97年に報告書を出していたと知った。

 フォールアウトに関する過去の測定データや、当時の気象条件などの記録を基に計算モデルを当てはめ、核実験で受けた甲状腺の1人当たりの被曝量を全米3千の郡ごとに推定。条件によっては16ラド(160ミリグレイ)になる郡もあり、エメットが位置するジェム郡をはじめ、アイダホ州とモンタナ州の一部の郡が全米で最も高いレベルにある可能性があるとした。

 特に気になったのは、核実験が行われた時期に生後3カ月~5歳だった子どもの被曝線量は牛乳をたくさん飲むため大人の10倍にもなり得るとの記述。牧場で自給自足の生活をしていた子どもの頃を思い出し、甲状腺疾患は核実験のせいだと疑問を募らせた。「搾りたてで新鮮なほど体に良いと思って飲ませていたのに」と母は涙を流した。

 「父や伯父も甲状腺の病気になった。母は乳がんを患い、兄もがんを3回経験した。何かがおかしいとは思っていた」。私だけではないかも、と地域住民に呼び掛けて集会を開くと300人が集まった。行動を起こしていく決意を固めた。

 米国には、国内の核実験被害者のための「放射線被曝補償法(RECA)」という法律がある。ネバダ、アリゾナ、ユタの3州の一部に設定された指定区域の住民が一定条件を満たせば、補償金を申請できる。アイダホ・ダウンウィンダーズは、指定区域の拡大を求め、地元選出の連邦議員に働き掛けている。

 だが、議会を動かして法改正を勝ち取る見通しは立っていない。「病気の人たちが死ぬのを、政府や政治家は待っているのか」といらだちを募らせる。

 店の壁には、軍服姿の人たちを捉えた約800の写真立てを掲げる。お得意さんたちが、自身の若い頃や亡くなった家族の一枚を持ち込んだものだ。

 「私は愛国者。でも、たたえる相手は政府ではなく、国のため働いた人や国の政策の犠牲になった人たち」。同じ思いで風下住民の補償を求めて行動する。

国立がん研究所 スティーブン・サイモン線量評価部長(放射線疫学)

放射性微粒子 巻き上げられ拡散

 フォールアウトの実態をどう見るべきか。ネバダ核実験に関する複数の報告書をはじめ、太平洋マーシャル諸島や旧ソ連セミパラチンスクなどで被曝線量の研究に関わる国立がん研究所(NCI)のスティーブン・サイモン線量評価部長(放射線疫学)に聞いた。

  ―ネバダ州で大気圏内核実験が100回も繰り返された中、フォールアウトがこれほど拡散したのは驚きです。
 地表近くで爆発させる実験により、火球が地面に当たって高い放射能を帯びた土ぼこりなどが大量に巻き上げられたことが大きい。上空約600メートルで爆発し、実際にはフォールアウトがそう多くなかった広島と長崎の原爆との違いである。

 土などは比較的近くに降下した一方、ごく軽い微粒子は風に乗って移動し、途中で雨とともに地表に落ちるとホットスポットができた。

  ―NCIの報告書では牛乳がどう飲まれているかなども考慮されています。何げない日常生活で、内部被曝にそれほど違いが出るのですか。
 甲状腺は放射線の影響を受けやすい。牛がフォールアウトの付いた草を大量に食べると、水分に溶けやすい性質の放射性ヨウ素が牛乳に濃縮される。ヨウ素131の半減期は8日。同じ地域の住民でも、核実験があった1950年代に子どもで、新鮮な牛乳を多く飲んだ人ほど甲状腺が放射性ヨウ素を取り込んだ。

 ―これに関連して、甲状腺がんリスクの推定も行っていますね。
 生涯で甲状腺がんになる人は、フォールアウトがなければ全米で約40万人だが、フォールアウトによってさらに4万9千人が加わるかもしれない、とした。

  ―多いですね。
 住民が不安になるのは当然だが、統計学的にはかなり不確実性が残ることも強調したい。がんで人口の4割が死亡する時代。がんの原因はさまざまあり、見分けが付かない。騒々しい場所で小さな声を聞こうとするのと同じ。周りの音がはるかに大きいため、紛れ込んでしまう。大量被曝ではなく何十年も前のことだ。ここまでが精いっぱいでもある。

  ―問題は放射性ヨウ素だけですか。
 旧ソ連などの核実験によるフォールアウトは1年ほど成層圏を回って落ちてくる。ネバダよりさらに微量だが、放射性セシウムがむしろ米東部で見つかっている。フォールアウトは世界中に拡散している。

放射線被曝補償法 1万8550人認定 一時金を支給

 米国は、部分的核実験禁止条約に調印する1963年までに210回の大気圏内核実験を繰り返した。うち約100回はネバダ核実験場で実施。健康被害を訴える周辺の住民や、核実験に関わった軍人らの声を受け、90年に成立したのが「放射線被曝補償法(RECA)」である。

 風下住民、核実験に従事した人、ウラン採掘や精製に携わった人が対象。うち風下住民は、乳がんなど指定された19種類のがんになった場合、申請が通れば一時金5万ドル(約520万円)の補償が支給される。米司法省の資料によると、風下住民は2015年2月時点で2万3233人が補償を申請し、うち1万8550人が認定されている。

 ただ、核実験の実態とそぐわないさまざまな条件がある。「風下地区」と指定されているのはネバダ、アリゾナ、ユタ州の一部。アイダホ州などは対象外だ。

 同州などの選出議員が超党派で法改正を目指している。同州選出のマイケル・クレイポー上院議員(共和党)のボイジー事務所でこの問題を担当するリンジー・ノーザン秘書は「全国的課題だと理解されていない。特に米東部の議員の関心は薄く、個別に粘り強い説得を続けている」と明かす。

(2016年6月19日朝刊掲載)

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