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葉佐井博巳さん死去 87歳 被爆から核物理学の道

 自らの被爆体験も踏まえ、新しい原爆放射線量の推定方式を日米合同で策定し、証言・継承活動にも努めた広島大名誉教授、葉佐井博巳(はさい・ひろみ)さんが26日、慢性心不全のため、広島市佐伯区の病院で死去した。87歳。広島市出身。葬儀・告別式は27日、家族で行った。喪主は妻尚子(なおこ)さん。

 1945年8月6日は、広島一中(現国泰寺高)2年の学徒動員先だった旭兵器製作所(現廿日市市)にいた。帰宅が許された翌日に入市被爆。生家は現在の中区西白島町にあった。

 広島大工学部を56年に卒業し、原子核の構造を研究する核物理学者となる。米ロスアラモス研究所から戻った翌83年に教授。原爆放射線量を推定する計算方式の再評価に広島大グループを率い、原爆ドームの試料も調査。原爆の出力はTNT火薬換算で16キロトンと改める「DS02」を2003年、日米合同研究者会議・上級委員会の日本側代表として取りまとめた。

 国の有事法制に伴う広島市の「国民保護計画」策定で07年、核攻撃を受けた場合の被害想定をまとめ、「効果的な対処はない」と核兵器廃絶の必要性を指摘。証言活動にも取り組み、ヒロシマの記憶を語り継ぐ人材の育成を提唱。市は12年度から「被爆体験伝承者」事業を始めた。

 97年に中国文化賞、01年から05年広島国際学院大学長。昨年10月には、広島とハワイの大学野球交流への貢献から日米協会金子堅太郎賞。12月に自宅近くの病院へ入院し、生前の意思から家族葬となった。

(2019年1月30日朝刊掲載)

天風録 『ヒロシマの物理学者』(2019年1月30日朝刊掲載)

評伝・葉佐井博巳さん 原爆の解明と継承に尽力(2019年1月31日朝刊掲載)

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