ヒロシマの空白 被爆75年 埋もれた名前 <10> 新資料
19年12月11日
宙に浮く事業所名簿
収集や活用 連携課題
原爆資料館(広島市中区)が所蔵する資料「広島栄養食配給組合書類」の中に、鉄工所やねじ工場、木工所など市内計29事業所の原爆死没者を取りまとめた名簿がある。計323人分。2005年、組合常務理事だった故神原敬太郎さんの遺族によって寄贈された。
貴重な「情報源」
この組合は、出資者の事業所や組合員に給食を配達していた。1945年8月6日の原爆被害により再起不能となる。解散し、残余金の一部は犠牲者の永代供養に充てることを決めた。出資者と組合員に宛てた46年1月24日付中国新聞の広告は、神原さんら2人の連名で、永代供養のため家族や関係先も含めて犠牲者を知らせるよう呼び掛ける。
「同一の釜の御飯(ごはん)を戴(いただ)いて参った縁故と情誼(じょうぎ)に依(よっ)て、不幸死去せられた方々に對(たい)しても永遠に冥福を…」
広島市が原爆死没者の名前を集めては積み上げている原爆被爆者動態調査の報告書を手繰ると、広島銀行や百貨店の福屋などが刊行した社史から犠牲者名を拾い上げ、データとして反映させていることが分かる。事業所の死没者名簿は、まさに貴重な「情報源」だ。
ところが90年度を最後に、そのような名簿類が動態調査の参考にされた形跡はない。その後も、たとえば広島県立文書館(中区)に今年3月、広島信用金庫(旧広島市信用組合)の犠牲者名簿が寄託されている。48人が犠牲になっており、96年に刊行した社史にも載せている名簿だ。
市によると、古い原爆死没者名簿が寄贈されたり見つかったりすると、罹災(りさい)者名簿類の保管を担当する平和推進部が原則対応し、動態調査を行っている原爆被害対策部と情報が共有される。原爆資料館などのほかの窓口に資料が提供された場合でも、同じようにして動態調査に生かすことが求められるが、具体的なルールはないという。
市は動態調査を始めた79年以降、広島大など関係機関と情報交換する会議を開いていた。だが、少なくとも99年度以降は開かれていない。入手資料が増えるにつれ、さらなる掘り起こしよりも、名前の重複を点検することが課題になったことが一因のようだ。
宇吹暁・広島女学院大元教授は、さらなる収集だけでなく、すでに使った資料の散逸を防ぐためにも、関係機関の連携が急務と訴える。「市だけでは限界がある。国や県、ほかの自治体などにどう協力を求めるかが鍵となる」
資料館の加藤秀一副館長は「寄贈された名簿類が動態調査に生かせるかどうか、資料館では判断がつかない」と話す一方、「栄養食配給組合書類」については、その記録性の高さに期待を寄せる。市原爆被害対策部や調査に協力する広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、南区)と情報交換を進めたいという。
「祖父喜ぶはず」
「八月六日戦災死」「工場ニテ」…。神原さんたちの呼び掛けに応じた組合員らから送られてきた便箋やはがきには、死没者の名前のほかに死亡の日付や場所、年齢なども記されている。新聞広告では「誠に遺恨に堪えません」と事業継続の断念を告げた神原さん自身、爆心地から約2キロにあった組合事務所の下敷きになり、大けがを負いながら名簿を取りまとめた。
「犠牲者の把握に生かされるなら、祖父も喜ぶはずです」。資料の閲覧を快諾してくれた孫の佐千代さん(62)=福山市=は、力を込めた。(水川恭輔)
(2019年12月11日朝刊掲載)
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