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継承のかたち 地域でたどる戦後75年 第2部 島陰の戦争 <4> 生きた証し

「死の覚悟」 寺の記名簿に

兵学校の生徒 本音をつづる

 旧海軍兵学校(現海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校)を見渡す高台にある江田島市江田島町の品覚寺(ほんかくじ)。ここに、兵学校の生徒による記名簿「津久茂帖(つくもちょう)」が保管されている。

21冊に延べ4500人

 寺があった旧津久茂村から名付けられた記名簿は、和紙をとじた帳面。明治末期に起きた軍艦同士の衝突事故の犠牲者の追悼会が寺で営まれたのを機に、記帳が始まった。1904年から45年の終戦までの計21冊。厳しい訓練をこなす生徒にとって、寺は憩いの場だったとされる。当時10代の生徒延べ約4500人が、名前とともに決意や思いを毛筆でつづっている。寺では手に取って自由に閲覧できる。

 初期は寺との交流についてや、墨絵、俳句などおおらかな内容。昭和初期は軍人としての決意を示す記述が目立つ。だが、戦争が激しさを増すにつれ変化が現れる。「至誠一貫、特攻に生きん」「無で突入」…。死を覚悟した文字が並び、遺書としての色合いが濃くなる。「故郷に在す父母よ健在なれ」。両親を気遣う文言もある。

 終戦直後、兵学校に関する資料は連合国軍の押収を避けるため多くが廃棄されたが、津久茂帖は寺から広島に移されて残った。郷土史に詳しい元市文化財保護委員長の宇根川進さん(68)は「生徒の当時の本音が書かれた唯一無二の記名簿。時代を映す記述の変化は歴史的価値がある」と話す。

面影求めて訪問

 戦死した卒業生は遺骨が見つかっていない人も多く、遺族にとって津久茂帖は大切な遺品ともなった。面影を求め、生き残った同期生や肉親が寺を訪問。戦後75年を迎える今では子や孫世代、現役自衛官も姿を見せる。

 津久茂帖を巡っては、こんな逸話もある。1944年3月に「死」という1文字を残した当時17歳の男性が、77歳となった2004年10月に寺を再訪。同じページに「生」と書き添えた。板垣慈潤住職(64)は「戦後を生き抜いて変わった自らの価値観を示したかったのでは」と思いを寄せる。

 津久茂帖への記帳はなお続いている。終戦後いったん途絶えたが、64年ごろに再開。訪問者が見て感じた率直な思いを記す。兵学校生徒の21冊とは別に38冊に上る。板垣住職は「尊い犠牲の上に今の平和があることを忘れてはいけない。歴史を知り、平和を考えるきっかけにしてほしい」と願う。(三浦充博)

(2020年5月6日朝刊掲載)

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