緊急連載 上告断念 黒い雨訴訟 <中> 原告19人 見届けられず
21年7月28日
強い日差しに川面が輝いていた。爆心地から約20キロ離れた広島県安芸太田町坪野。中津サワコさん(83)は27日、自宅の目の前を流れる太田川沿いに立ち、遺影に語り掛けた。「お父さん、今度こそやったよ」
76年前、夫昭士さん(2018年に81歳で死去)はこの自宅そばで原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びた。しかし、国は雨が大量に降った「援護対象区域」を自宅の対岸で線引きした。たった幅約20メートルの川が支援の有無の境界となった。「川を境に雨が降るわけがない」。そう訴え続けてきた昭士さんは15年11月、黒い雨を巡る初の裁判闘争の原告に名を連ねた。
サワコさんは夫を複雑な思いで見守っていた。実は、自身も同県筒賀村(現同町中筒賀)の自宅近くで黒い雨を浴びていた。その事実を知られたくなかった。胸に秘めたまま1955年に結婚。夫の生前、あの日の記憶を一緒にたどったことは、ほとんどない。
区域拡大に懸命
「区域拡大に一生懸命なお父さんの背中を見守るだけでした。無念を晴らしたかった」。サワコさんは昭士さんが心筋梗塞で亡くなった後、訴訟を引き継ぎ、自身も原告に加わった。
原告84人全員を被爆者と認めた一審広島地裁判決を支持した14日の広島高裁判決。空気中の放射性微粒子を吸い込むことなどによる内部被曝(ひばく)で健康被害が出る可能性もあり、特定の病気の発症にかかわらず広く被爆者認定すべきだと、さらに踏み込んだ判断も示した。上告期限を前に26日、菅義偉首相は上告断念を表明した。
その一報に、サワコさんは、悔しさも込み上げた。提訴から約6年。昭士さんをはじめ、19人もの原告が亡くなった。高裁判決翌日には同県府中町の田村重子さんが86歳で亡くなった。10歳で黒い雨を浴びて慢性腎不全などを患っていた。
「もっと早く国が決断していれば、もっと多くの方が救済されていた」。27日、広島市中区であった原告団と弁護団の記者会見。佐々井真吾弁護士は静かに語り、力を込めた。「高裁判決の確定は新たなスタート。救済を待つ人を素早く救うステージに移る」
「訴訟への参加、不参加にかかわらず認定し、救済できるよう早急に対応を検討する」。同日夕に閣議決定された首相談話では、原告以外の被爆者認定について、重ねて明言した。
援護法趣旨に光
しかし、こうも強調した。内部被曝の健康影響に踏み込んだ高裁判決に「これまでの被爆者援護制度の考え方と相いれない。政府としては容認できない」。弁護団は「被爆者認定は、黒い雨による内部被曝の健康影響を前提とすることなくしてありえない」と反論。被爆者援護行政の見直し論議を後退させないよう、けん制した。
黒い雨を浴びた人たちによる40年以上にわたる訴えが今、全ての黒い雨被害者の救済の道を開きつつある。そして、国の戦争がもたらした原爆被害を国家補償的な配慮で救済するとした被爆者援護法の趣旨にあらためて光を当てた。「お父さんの無念は、少しでも晴れたかな」。サワコさんは遺影を見つめた。(松本輝、根石大輔)
(2021年7月28日朝刊掲載)