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緊急連載 上告断念 黒い雨訴訟 <上> 首相に直談判 急転直下

広島県・市がタッグ 原告に添う姿勢貫く

 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」被害を巡る訴訟は、菅義偉首相が26日、最高裁への上告をしないと表明し、決着をみた。22~25日の4連休を挟んだ協議の過程で上告を迫った政府に対し、広島県と広島市は老いを深める原告たち被害者の側に立って上告を拒み続けた。40年以上にわたるヒロシマの訴えを結実させる急転直下の「政治決断」を引き出したのは、県、市による菅首相への直談判だった。舞台裏を振り返り、救済に向けた課題をみる。

 「首相が上告断念を政治決断した」。上京中の松井一実市長は午後4時10分ごろ、自民党の岸田文雄前政調会長(広島1区)から携帯電話で聞かされた。同じころ、県、市の関係者にもこうした意向が一斉に伝わった。4時半ごろ、菅首相が報道各社に「上告をしない」と表明。5時、面会に訪れた湯崎英彦知事と松井市長にも伝えた。「想定外だ」。県幹部は喜びの中に驚きを隠さなかった。

 昨年7月の一審広島地裁判決に続き、原告84人の全面勝訴となった今月14日の高裁判決。複数の関係者によると、その後の交渉では厚生労働省や県、市が互いの主張をぶつけ合い、平行線をたどり続けた。

 厚労省側は、内部被曝(ひばく)による健康被害の可能性があれば被爆者と認めるべきだとする判決内容に反発し、「受け入れられない」と強硬な態度だった。田村憲久厚生労働相は20日の記者会見で内部被曝に言及。その意図は「東京電力福島第1原発事故の放射線被害への影響を懸念している」との見方が出ていた。

国の対応に不満

 ただ、県、市は譲らなかった。松井市長は高裁判決後、与野党の国会議員に「原告全員を被爆者と認定し、被爆者健康手帳を交付する」「国が求める上告に市と県は付き合わない」と伝達。その方向へ県と歩調をそろえていった。内部被曝への懸念を拭い去る材料として「高裁判決は『原爆の放射線』と表現し、原爆に限ったと読み取れる」との理屈も浮上した。

 背景には、国が援護対象区域(大雨地域)の拡大に道筋を付けていないことへの強い不満があった。広島地裁判決では国が「拡大も視野に入れた再検討をする」と表明し、県、市は控訴を受け入れたが、1年たっても方向性は見えていない。ある市幹部は「一審時は国と取引という側面もあったが、今回は譲る気持ちはなかった」と言い切る。

 23日には、厚労省と法務省の幹部が市役所を訪れ、田辺昌彦副知事、小池信之副市長と直接協議する異例の会合がセットされたが、結論は出なかった。

 複数の関係者によると、県が打開策として探ったのが、湯崎知事と松井市長による菅首相への直談判だった。情報が漏れれば実現しない可能性があるため、県と市の内部にはかん口令が敷かれた。

 4連休を挟み、26日夕の首相官邸での面会にめどが立った。「首相が面会するなら、上告断念の政治決断もあるかもしれない」。休みを返上して政府との調整を図りつつ、面会後の質疑応答の準備などを進めていた県と市の内部に、淡い期待が広がりつつあった。

国会議員も動く

 地元選出の国会議員も動いた。岸田前政調会長は加藤勝信官房長官(岡山5区)や田村厚労相、厚労省幹部に「8・6を前に政治的なメッセージが必要だ」「広島を甘くみないでほしい」などと上告断念を働き掛けた。公明党の斉藤鉄夫副代表(比例中国)も菅首相に直接電話したという。

 菅首相による突然の政治決断の背景として、県政界には「年内に衆院選を控える中、急落する内閣支持率の浮揚が狙いではないか」との見方がある。2019年7月の参院選広島選挙区の大規模買収事件を巡り、県政界から菅首相に厳しい視線を向けられるのが影響したと指摘する声もある。

 市幹部の一人は、今回の政治決着をこう総括した。「ちまたで言われる事情もあるかもしれない。だが、上告断念だけでなく、原告以外の救済にも首相がちゃんと触れてくれた。予想し得る中でベストの結果だ」

(2021年7月27日朝刊掲載)

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