×

連載・特集

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン②

 セルゲイ・パルチコフ(1893~1969年)はロシア西部のメンゼリンスク(タタールスタン共和国北東部)に生まれた。貴族の家系で、一家は音楽の造詣が深く、彼も4歳からバイオリンを始めた。しかし、音楽の道は選ばず、カザン大学の法学部に進んだ。第1次世界大戦が始まると砲兵隊士官として従軍、ロシア革命では白軍(皇帝軍)として革命軍と戦った。白軍は次第に劣勢となり、セルゲイも東へ敗走、その途中で貴族出身のアレキサンドラと出会い20年に結婚。翌年ウラジオストクで長女カレリアが生まれた。

 1922年10月、ウラジオストクには、迫りくる革命軍から逃れ海外を目指すロシア人が殺到していた。脱出用の船が見つからないセルゲイは家族、仲間とともに民間船に乗り込み、船長に銃を向け出港を迫った。同情した船長は「このままでは海賊として処罰される。武器を捨てれば避難民として扱おう」と提案した。一行が武器を海に投げ捨て出港した直後、ウラジオストクは陥落した。

 渡日直後の詳細はわからないが、パルチコフ一家は23年2月に広島に着いた。当時多くの白系ロシア人が横浜や神戸に移住した。セルゲイがなぜ広島を選んだのか。孫のドレイゴ氏の著書には「文化的雰囲気が気に入った」と書かれているが、貴族出身で士官のセルゲイは常に暗殺の危険を感じていたので、より安全な広島を選んだとも考えられる。数カ国語に堪能だった彼も日本語が分からないため、生活は困窮した。悩んだ末、彼は愛用のバイオリンを手に質店に向かった。(元英語教諭=広島市)

(2021年8月17日朝刊掲載)

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン①

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン③

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン④

年別アーカイブ