×

連載・特集

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン③

 バイオリンを手に質店に向かったセルゲイに声をかけたのは、広島市内の映画館、日進館の館主だった。彼はセルゲイにその場で演奏させ、その腕前に驚嘆した。セルゲイはすぐにサイレント映画の伴奏者として雇われ、友人の白系ロシア人数名と伴奏の弦楽アンサンブルを組織した。

 ミッション系で音楽教育に力を入れていた広島女学校(後の広島女学院)の教師がセルゲイのうわさを知り、校長のN・B・ゲーンスに推薦。1926年、セルゲイは同校の音楽教師の職を得、すぐに弦楽オーケストラを編成し、6月には第1回音楽会を開催した。女学生のオーケストラは大変珍しく、県内外で評判になった。広島中央放送局(現NHK広島放送局)のスタジオでの収録や陸軍病院での演奏が写真に残る。

 セルゲイの指導は大変に厳しく、基礎練習を徹底的に繰り返した。「ハレルヤ・コーラス」の指導では冒頭の「ハ」で何度も中断し、「ハレルヤ」の一フレーズを歌うまでに生徒は疲れ果てていたという。授業の他に、学校に近い自宅でバイオリンの個人レッスンや英語の指導、陸軍幼年学校で外国語の指導もした。当時の写真を見ると、大柄で威厳に満ちたその姿は厳格さと高貴さを感じさせるが、どこか祖国を追われた寂しさと苦悩も感じさせる。

 24年に長男ニコライ、33年に次男デビッドが生まれた。ニコライは後に「友達と自転車で広島の町じゅうを走り回った。広島人として受け入れてもらい、何一つ差別は受けなかった」と小学校時代を回想している。(元英語教諭=広島市)

(2021年8月18日朝刊掲載)

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン①

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン②

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン④

緑地帯 廣谷明人 奇跡の被爆バイオリン⑤

年別アーカイブ